怒りを捨てるように

ダンマパダ 221

怒りを捨てるように、慢心を捨て去るように
一切の執着に打ち勝つように
心と身体に執着しない
心に何もない人には苦悩は現れない

*この詩から学ぶこと

 お釈迦さまは余り命令形を使わない。願望法をよく使われます。お釈迦さまは説法を聞く人に命令するのではなく、提案をされます。行うかどうか聞く人の意思に任せます。

 怒りを捨てるようにと仰られました。なぜでしょうか?
 少し、現代的に説明しましょう。心が怒りの状態になると、ノルアドレナリンという物質が脳内に分泌されます。これは戦いのホルモンと言うべきもので、生命の危機や不快の状態と戦うための脳内物質です。この物質が出ると身体中で変化がおこります。

 敵をよく見るように瞳孔が開きます。心臓の拍動は亢進し、大動脈は拡大しますが、抹消血管は縮小します。戦いの際は不必要な消化機能は抑制されます。唾液は出なくなり、胃液は抑制され、胃腸の働きは抑えられ、消化不良や便秘になります。このような状態が続けば身体は壊れます。不安神経症や強迫神経症などの精神的な病気も引き起こします。ノルアドレナリンは身体にとって猛毒なのです。

 ここで、注意すべきことはノルアドレナリンによって怒りが引き起こされのではないということです。心に怒りが現れると、脳内にノルアドレナリンが分泌されるのです。この点については脳科学者は明確になっていません。

 怒りの対象になった相手の人は怒りを受けて、怒るということになります。そうすると相手も身体の中に毒が広がります。そうすると自分も相手も不幸になるという訳です。ですから、怒らないようと言われるのです。

 では、なぜ私たちは怒るのでしょうか?。それは私たちには「自分は正しい」「自分は偉い」という慢心があるからです。上の詩では次に、「慢心を捨て去るように」提案されているのです。
慢心はダンマパダ218で説明した十執着の後半にあります。慢心はなかなか捨てるのが難しい執着です。不還果聖者にも残っているのです。慢心も捨て去り、すべての執着に打ち勝つようにと提案されています。そうすれば、阿羅漢果の聖者になるのです。彼には心と身体に対する執着はないし、心には彼の自由を妨げるものは何もないのです。当然悩み苦しみはありません。

 お釈迦さまは、怒らないようにと提案するだけで終わりません。すべての執着を捨てて阿羅漢になるように提案されています。

   ○怒るなよ身も心も壊れるぞ 慢心捨てれば心配ないぞ

~わたしは幸せでありますように~
~あなたも幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~   

"怒りを捨てるように" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント