冥想を放逸しないで実践し欲望に勝ち苦しむなかれ

ダンマパダ 371

比丘よ、冥想しなさい、放逸であってはならない
欲望の対象に心を迷わせてはならない
放逸によって鉄丸を呑み込んではならない
焼かれながら、「これが苦だ」と泣いてはならない


○この詩から学ぶこと

 今回の詩は単刀直入に、「冥想しなさい」と教えています。釈尊は丁寧に、一人ひとりに応じた説法をされましたが、その真理を自分のものにするためには、釈尊の言葉を自分で確かめる必要があるのです。その最高の手段が冥想です。釈尊は説法の終わりに、比丘たちにすぐ、冥想するように勧めています。私たちもダンマパダの言葉を学んだらすぐ冥想をした方がいいのです。

 「放逸」という言葉は、一般の用語としても使います。広辞苑では「①わがままなこと。勝手きままでしまりがないこと。放恣(ほうし)。②乱暴なこと。残酷なこと。」とあります。

 しかし「不放逸」という言葉は、重要な仏教用語なのです。中村元著「仏教語大辞典」には「①なまけないこと。なまけないで修行すること。放縦に流れない善の心。なまけないで自己を完成せよ、というのが釈尊の最後の説法であった。」とありますが、これでは要点が抜けているのです。念(気づき)を絶やさないこと。気づきをなまけないことなのです。「「不放逸」は八正道の「正念」と同義なのです。「正念」は八正道を牽引する役目を持つものだけに特別の重要性を持つのです。(星飛雄馬著「初期仏教キーワード」133ページの「正念」の項を参照してください。)

 さらに、「不放逸」の重要性を述べるために、付け加えれば、ダンマパダの第2章は「不放逸」がテーマになって、12の詩が集められています。

 また、テーラワーダ仏教の先生方に仏教の重要なキーワードを三つ上げて下さいと聞いて、その三つの言葉の中に、「不放逸」を上げなかったら、その先生は本物ではないと言っても言い過ぎではないと私は思っています。

 さて、この詩の2行目ですが、自分自身に気づいていないと、自分が欲望の対象に心を奪われいることが分かりません。私たちの日常は欲望の対象に心が奪われいます。そのため欲望の奴隷になっているのです。

 3行目の「鉄丸を呑み込んではならない」は「苦しんではならない」ということです。欲望の奴隷になること、それは苦しみなのだと教えているのです。

 4行目、「焼かれながら、『これが苦だ』と泣いてはならない」は、欲望の奴隷になると、単に苦しむだけでなく、罪を犯す恐れがあります。罪を犯せば、地獄に落ちる恐れがあります。その時、最高の苦、この上ない苦を知って、「これが苦だ」と泣くことがないように教えているのです。

○冥想を放逸しないで実践し欲望に勝ち苦しむなかれ

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

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