バラモンはどんな未練も断ち切って怖いものなく静かに生きる

ダンマパダ 397

すべての未練を断ち切って
恐れるもののない
執着を超え、束縛から離れた人
彼を私はバラモンと呼ぶ


○この詩を学ぶ

 上の詩の「未練」とは、この場合は仏教用語では「結」と言います。パーリ語ではサムヨージャナです。私たちを輪廻の世界に結びつけている軛(くびき)、煩悩です。10種類あり、1.有身見、2.疑、3.戒禁取、4.愛欲、5.激怒、6.色貪、7.無色貪、8.慢、9.掉挙(じょうこ)、10.無明、です。ちなみに1.2.3.の煩悩がなくなれば、預流果の悟り、すべての煩悩がなくなれば阿羅漢果の悟りになると言われています。(星飛雄馬著「初期仏教キーワード」150~153ページ参照)

 私はパーリ語の「サムヨージャナ」を「未練」と訳しましたが、私たちを輪廻の世界に結びつけている欲や怒り、無明などは未練だからです。未練は断ち切るものです。いつまでも未練を持っているのは情けないし、気持ち悪いものです。しかし、そのような世界が好きな人も結構多いです。ですから、未練を歌う演歌はなかなか廃れません。しかし、それはバラモンの生き方ではないのです。

 輪廻の世界とはこの世のことです。私たちを輪廻の世界に結び付けている未練を断ち切るとは、この世への未練を断ち切るということです。この世に未練はないということです。でもそれはすぐ死にたいということでもないのです。死にたいというのも欲です。死にたいのはやはり何かを望んでいるのです。それもありません。バラモンは生きているかぎりは、生きている義務をはたし、報恩の活動を行うのです。この世に未練のない人に怖いものはありません。恐れるもののない人、それはバラモンなのです。

 以上10の煩悩をなくすことで修行は完成ですが、言葉はどうしても人によりいろいろな受け止めかたをします。また同じ意味として理解されても、言葉は人によりインパクトも違います。ですから、釈尊は私たちが正確に理解できるように、理解を深めることが出来るように、いろいろな同意語を使い、説法されます。

 「恐れるもののない」の次に「執着を超え」という言葉を使われました。例えば、お金に執着している人は、お金そのものが欲しいと思っていると同時にお金を欲しいと思っている自分を肯定しています。そのことに気づいてはいません。お金を欲しいと思っている自分がかっこ悪いとは決して思わないのです。ですからお金への執着はなくならないのです。「執着を超える」とは、いかなるものにも執着しない人間に成ることです。バラモンは執着を超える人間なのです。

 さらに、釈尊は「束縛から離れた」という言葉を使いました。何かに執着している人は何かに束縛されている人なのです。もっと強い言葉で言えば、奴隷です。お金で言えば、お金に執着している人はお金の奴隷なのです。お金のためならば何でもするのです。これが高じると犯罪まで犯すことになるのです。普通の人間が五欲の奴隷です。見たり、着たり、味わうなどのために、人生をささげ、それらの奴隷になっているのです。しかし、バラモンは違います。五欲の「束縛から離れた人」なのです。

 言うまでもありませんが、釈尊は「私たちにバラモンのごとくあれ」と教えておられることを忘れないで下さい。

○バラモンはどんな未練も断ち切って怖いものなく静かに生きる

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

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