粗雑に葺かれた屋根は雨が漏る修行しないと欲望増える

ダンマパダ 13、14

粗雑に葺(ふ)かれた屋根からは
雨が漏るように
修行されてない心には
欲望が入り込む

丁寧に葺かれた屋根からは
雨が漏らないように
よく修行された心には
欲望が入り込まない


〇この詩から学ぶこと

 屋根から雨漏りしたら困ります。同様に心に欲望が入りこんだら困るのだと釈尊は仰います。しかし、多くの人は欲望が心に入ることを困ることは考えていないかもしれません。むしろ、欲望があるから生きていける。欲望はあるから人間は努力して、進歩するのだと考えている人が多いと思います。この点を初めに解決しておかないと、次に欲望が心に入らないように修行するという議論ができません。

 仏教では欲望はない方が善いと考えています。なぜならば欲望には限界がないからです。たとえば、100万円欲しいと思っていた人は、100万円持つとさらに多く欲しくなるのです。自分自身について考えてみれば分かることです。いや自分は違うという人は、自分にはそんなに多くお金が得られないと自分で制限しているのであって、もし得られるのであればいくらでも多く欲しくなるのが欲望です。そして限界のない欲望は自分を満足しない状態に置き、自分自身をいつも不満な不幸な人間にするのです。

 また多くの犯罪も欲望から起こることはだれも否定しないでしょう。犯罪をおこせばその人間は罰を受け、不幸になることは決まっています。

 人間には、生きていくために必要なものはあります。ですから必要なものは用意する必要があります。この際大切なことは、欲しいかどうかではなく、必要かどうかなのです。必要なのものは用意します。ですが必要なものには限界があります、それほど多くなくてもよいのです。

 努力や進歩に関して言えば、欲しいから努力するのではなく、必要だから努力するというのが健全なありかたです。限界のない欲望のための努力は際限のない努力であり、不健全です。

 どうでしょうか、欲望は人間を不幸にすることを理解して頂いたでしょうか。欲望がいかに人間を不幸にするのか。欲望がいかに人間を苦しめるのかさらに具体的に検討する必要がありますが、
一応ここでやめます。

 「粗雑に葺かれた屋根からは雨が漏るように」とありますが、どのように欲望は心の中に入り込むのでしょうか?  欲望は眼、耳、鼻、舌、身、意の感覚から心に入り込むのです。感覚における快感を獲得、維持したいという思いが欲望なのです。ですから、欲望をコントロールするためには感覚をコントロール必要があります。感覚をコントロールする方法は感覚を客観的に観察することです。これはヴィパッサナー瞑想です。「丁寧に葺かれた屋根からは 雨が漏らないように よく修行された心には 欲望が入り込まない」 とはヴィパッサナー瞑想で修行された心には欲望は入り込まないということです。

 ○粗雑に葺かれた屋根は雨が漏る修行しないと欲望増える
 ○丁寧に葺かれた屋根は雨漏らない修行をすれば欲望消える

~私が幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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