愚か者子や財産で苦悩する自分自身も無我であるのに

ダンマパダ 62

私には子供がいる、私には財産があると
愚か者は思い悩む
自分には自分すらないのに
なにが子供か、なにが財産か


○この詩から学ぶこと

 世の中の現象は全て、原因と結果であります。そして、そのつながりなのです。しかし私たちは結果のみを見て、自分の望む結果であれば喜びますが、自分の望まない結果であれば怒ったり、悲しんだり、悩んだり、苦しんだりします。

 例えば、桜の花が咲けば喜びますが、散れば悲しみます。子供が生まれれば喜びますが、家族が死ねば悲しむのです。桜は咲けば、いずれ散るのが自然のあり方です。人間は生まれれば、死ぬということも同様です。それを人間がかってに、桜は咲いて欲しいと望み、自分の望みに合致したした時喜び。外れた時に悲しみ、悩むのです。人間の生死についても同様です。

 私たちの悩み苦しみというものは、自分の望み期待という思いがあるから、現れるのです。自分に望みも期待もなければ悩み苦しみもありません。これは少しよく考えれば分かることです。息を吸ったら、吐くののは自然ですから、それぞれにだれも望みや期待をしていません。ですから、息を吸っても吐いても、だれも喜んだり悲しんだりしません。

 ですが、自分の子供が病気になれば、悲しんだり、心配したり、悩んだりします。子供は元気でいて欲しいと望み期待しているからです。子供が病気になれば、心配するのは当たり前だろうという考え方もありますが、子供も人間ですから、病気になるのも当たり前です。心配する前に、病院に連れて行くとか必要なことをするべきなのです。

 財産については、財産は減らしたくない、増やしたいという望み期待があるから悩むことになるのです。何事も無常ですから、変化します。増えることもあれば減ることもあります。無くなってしまうこともあるのです。そのことがよく理解されていれば、財産について思い悩まなくてもよいのです。悩まないで、必要な対応が取れれば減らさずに増やすことができるかも知れません。しかし、それも期待通りにいかないことがあることを知っていれば、悩んだり、苦しんだりしないですみます。

 以上が悩む苦しみについてのべましたが、この詩はもっと本質的なことを述べています。それは悩み苦しみをつくりだす望み期待の本質についてであります。望み期待の本質は、「自分のもの」に対する意識なのです。自分のものはかわいい、自分のものは大切だ、自分のものは守りたいという執着です。「自分のもの」の中で一番大切な「自分のもの」は自分自身です。ところが、釈尊は「自分には自分すらない」と言われるのです。ここが核心です。

 私たちは「自分がいること」に疑いすら持ちません。自分に実感を持っています。ですから「自分には自分すらない」と言われても、納得できるはずがないのです。しかし、最高の善友たる釈尊が悩み苦しみのワン・パターンの反応を繰る返す愚か者に、提示された言葉「自分には自分すらない」ということを、理論としても、瞑想の実践でも、自分と思っている者を観察して、有るのか無いのか確かめてみる必要があるのではないでしょうか。

 理論としては、南大蔵経28巻174ページ、またはウ・ウェープッラ著「南伝仏教基本聖典」(中山書房仏書林)75ページに掲載されている「無我相経」を勉強されるとよいと思います。ダンマパダにもいろいろな形で述べられていますから、ダンマパダを勉強すればだんだん分かってくると思います。

 自分には自分すらない」ということが分かれば、子供も財産も自分のものではないことはすぐ分かります。そうすれば、それらに執着して、悩み苦しむということが無意味であることも納得できるのです。ですから、「自分には自分すらない」ということ、無我ということですがそれを理解してみようではありませんか。

○愚か者子や財産で苦悩する自分自身も無我であるのに

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~ 

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