阿羅漢の心は静か行いも話す言葉も穏やか静か

ダンマパダ 96

心が静かであり
言葉と行いが静かな人は
正しい智慧で解脱した
寂静なる人だ


○この詩から学ぶこと

 皆さんは、このブログのタイトルを読んでおられますか。昨年の6月23日にブログを書き始めた時、タイトルの欄に何か書くようにパソコンから指示されるので、適当に記入しました。後で記事を見直す時、タイトルで内容が分かるようにした方がよいと思うようになりました。そこで、ダンマパダを短歌でまとめようと思いましたが、まとめられないのです。皆様にはどうでもよいことなのですが、はじめの句、五文字はうまくいきません。そこで、七文字から始まる、都都逸(どどいつ:7、7、7、5文字でまとめる日本歌謡)でタイトルを作り始めました。それは8月1日からです。しかし、都都逸は昔の日本人ならばみんな知っていたと思いますが、今の人はほとんど知らないのです。一人で都都逸を作っていると言っても、一人芝居ですから止めることにしました。短歌ならば、ほとんどの人が知っていますので、難しくともダンマパダを短歌でまとめることにしました。10月13日のタイトルからは短歌になっています。しかし、だれも短歌のタイトルには何も言ってくれません。
 ところが、先日PUNさんが、短歌についてのコメントをくれました。うれしかったですね。

 まえがきが長くなりましたが、今回の詩を短歌にまとめたタイトルを読んでもらいたくて、書いたのです。「阿羅漢の心は静か行いも話す言葉も穏やか静か」は今回のダンマパダの詩のポイントを75%ぐらい表現していると思います。

 仏教では行為は、身(身体の動き)だけでなく、口(話す言葉)、意(心で思うこと)を三つを含めて考えます。思うことも行為なのです。この中では「意」がリーダーなのです。(このことはダンマパダの1番、2番で述べられています。) 「意」は外には表現されませんから、自分にも他人にも気づけない場合が多いのです。しかし、心で思ったことは、言葉や身体の行為で表現されています。

 ですから、その人の話す言葉や、身体の行為を観察すれば、その人の心の状態がわかるのです。話し方が穏やかで静かならば、この人の心は穏やかで静かです。身体の動きが穏やかで静かならば、その人の心は穏やかで静かです。とは言っても中には心の状態を隠そうと思い、言葉や動きを慎重に穏やかに、静かにしようとする人もいますが、そう思っても長くは続けることはできないし、そのようにしていることも、言葉や動きに表れるのです。心は隠せません。

 心が穏やかで静かな人は、言葉や身体の動きも穏やかで静かです。これは好ましいことにも、好ましくないことにも心を動かさない、動揺しないからです。これは心に欲や怒りや無知が現れないからなのです。欲や怒りや無知について、正し智慧で、その害、誤り、矛盾、無意味さを知り尽くし、それらを捨て去るからなのです。身口意において完全に穏やかで静かな人は阿羅漢といえるのです。

○阿羅漢の心は静か行いも話す言葉も穏やか静か

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
 

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