道徳を守らず百年生きるより道徳守って一日生きよ

ダンマパダ 110、111、112

道徳を守らず、落ち着きなく
百年生きるよりも
道徳を守り、落ち着いて
一日生きる方が優れている  (110)

智慧がなく、落ち着きなく
百年生きるよりも
智慧があり、落ち着いて
一日生きる方が優れている (111)

怠けて、不精進で
百年生きるよりも
堅固に精進に励み
一日生きる方が優れている (112)


○この詩から学ぶこと

 仏教は無価値論です。すなわち「あれが善いとか、これが悪い」とは言わないのです。すべて無常ですから、形のあるものは壊れ消えていくものなのです。特別に価値を置けるものなどないのです。ですから、特別のものに価値をおいて、「大切だ、失いたくない」などの執着心を持たないように、心を育てるのです。何かに価値をおくことで、悩みや苦しみも生まれるのです。

 生きていることさえ、価値を置かないのです。ですから、長生きすることが何よりも大切なこととは考えていません。ただ、欲と怒りと無知によって生きている人生などには価値を置かないのです。そのような人生はただ、輪廻を繰り返すだけの人生なのですから。

 しかし、唯一、無価値な世界、無価値な人生から、離れようとした時、価値が生まれます。それを釈尊が発見し、私たち人類に教えてくれたのです。それは涅槃への道、解脱への道なのです。それは人間の究極の幸福への道なのです。具体的には、八正道を歩む人の道です。ですから、八正道を実践する人の人生は価値があります。

 八正道の実践に価値があるのは、解脱・涅槃への道だからというだけでなく、瞬間、瞬間の実践そのものに価値があることも、忘れてはいけません。それは目標に達成しなかったら価値がないということではないのです。実践してみれば分かることですが、私たちが生きていることは、一瞬、一瞬の積み重ねです。その一瞬をいかに充実して生きるかということが大切です。八正道の実践はその充実感を間違いなく感じさせてくれます。充実感こそ幸福なのです。

 上の三つの詩は、それぞれ、無価値な人生を生きている人と八正道を実践している人の人生を比較しているのです。道徳を守らない人の百年と、正思、正語、正業、正命を実践している人の一日の比較です。正見、正定のない人の百年と正見、正定を実践する人の一日との比較です。また精進のない人の百年と正精進を実践する人の一日との比較です。当然後者の方が優れているのです。

 今回の三つの詩についても日本テーラワーダ仏教協会のホームページにスマラサーラ長老の法話があります。それぞれの詩ができた因縁物語も詳しく語られています。是非お読み下さい。

110番:http://www.j-theravada.net/howa/howa40.html

111番:http://www.j-theravada.net/howa/howa41.html

112番:http://www.j-theravada.net/howa/howa42.html


○道徳を守らず百年生きるより道徳守って一日生きよ (110)
○智慧なく愚かに百年生きるより智慧持ち一日生きよ (111)
○不精進 怠けて百年生きるより堅固に励み一日生きよ (112) 

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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