人のため自分の目的捨てるなよ 目的よく知り専心すべき

ダンマパダ 166

他人の目的が重大であっても
そのために自分の目的を捨ててはならない
自分の目的を熟知して
自分の目的に専心すべき


○この詩から学ぶこと

 今回の詩の、キーワードは「他人の目的」と「自分の目的」です。

 「他人の目的は何ですか?」 別の言葉で言えば、「何が他人の為になるのですか?」これは、本来、他人にはよく分からないのです。自分かってに、これが他人の為になると思っても、本当に他の人の為になるのか分かりません。他人は迷惑かもしれません。日本テーラワーダ仏教協会のホームページで、このテーマについてスマナサーラ長老が、この166番の詩に関する法話で詳しく述べておられます。是非お読み下さい。http://www.j-theravada.net/howa/howa81.html

 よく分からない「他人の目的のために」または、よく分かったとしても、自分の問題は自分の責任でおこなわなければならないのです。「他人の目的」のために、「自分の目的」を捨てて、目的の遂行を止めるべきではないと述べられています。

 ここで「自分の目的」について、少し検討したいと思います。「自分の目的」は「他人の目的」と違って、自分の目的だから、自分で分かるはずです。しかし、この詩では「自分の目的を熟知して」と書かれています。つまり、自分の目的であっても、自分がよく分かってないと書かれているのです。

 なぜでしょうか? 自分の目的であっても、自分の幸福になる目的とは限らないからです。すでに度々述べてきたように、私たちの考えることは、欲と怒りと無知に基づいているのです。例えば、金持ちになりたいという目的があります。この目的が自分の為になんるのでしょうか。この目標では自己破壊になる可能性があるのです。

 金持ちになりたいという目的に専心すべきなのでしょうか? これでは自分の本当の目的にはならないのです。ただ、金持ちになりたいという目的だけで行動すると、幸福にならずに不幸になるはずです。なぜならば、それは単に欲に基づく目的だから、悪行為です。悪行為をするものは不幸になるのが、仏教の教える法則だからです。

 結論を急ぎます。自分の真の目的は、心を育てることです。人格を向上させ、人間として成長することです。その方法は八正道を実践することです。これが真にその人を幸福にするからです。その目的を熟知して、その目的に専心すべきなのです。

○人のため自分の目的捨てるなよ 目的よく知り専心すべき

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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