身体の行住坐臥に注意して正知の人は煩悩消える(293)

ダンマパダ 292,293

為すべきことを捨て
為すべからざることを為し
高慢で放逸の人々には
諸々の煩悩が増大する(292)

常に身体の動きに
気づくことに努力して
為すべからざることは為さず
為すべきことは為し
寂静であり正しく知る人々には
諸々の煩悩がなくなる(293)


○この詩から学ぶこと

 前回は「為すべきことは何か」ということを中心に述べましたが、今回は293番について述べたいと思います。この詩に書いてある通りの生き方ができれば、最高です。このような生き方ができれば、必ず涅槃に達することができるでしょう。

 「行住坐臥」(ギョウジュウザガ)とは、歩くこと、止まること、座ること、臥すことで、日常の起居動作をいいます。日常生活の身体の動きに注意を向けることで、実況中継することで、妄想がなくなります。動作に失敗がなくなります。為すべきことを、嫌だ、難しい、退屈だなどと思う妄想がなくなりますので、スムーズに行えます。妄想がなければ,怒りや欲がなくなり、為すべきでないことが直ぐわかり、為すべきでないことは為さなくなります。心は穏やかになります。感じたことを、偏見なく正しく知ることができるようになります。無常、苦、無我を実感して、執着がなくなります。そうすれば、すべての煩悩がなくなるでしょう。

 ですから、先ず、「常に身体の動きに気づくことに努力」することから始めるべきでしょう。ヴィパッサナーの実践です。

 スマナサーラ長老の法話は、たぶん来月号(2009年9月号)に掲載されると思います。
 
○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200809/article_12.html
 身体の動き注意して正しく知る人欲消える

○少しでもブッダの肉声に近づくために(カタカナを3回音読して下さい。)

ヤンヒ    キッチャン   アパヴィッダン
Yañhi     kiccaṃ      apaviddhaṃ,
者には実に 為すべきこと   捨て 
アキッチャン      パナ   カイラティ
akiccaṃ         pana    kayirati;
為すべきでないこと あるいは  為す
ウンナラーナン パマッターナン
Unnaḷānaṃ    pamattānaṃ,
高慢で      放逸な
テーサン     ワッダンティ アーサワー
tesaṃ        vaḍḍhanti   āsavā.(292)
その人たちには 増大する   煩悩が

イェーサンチャ スサマーラッダー
Yesañca      susamāraddhā,
人々には しかし よく努力して
ニッチャン カーヤガター サティ
niccaṃ    kāyagatā     sati;
常に     身体の動き  注意し
アキッチャン        テー  ナ  セーワンティ
Akiccaṃ           te    na   sevanti,
為すべきでないこと   彼らは ない 実行する 
キッチェー   サータッチャカーリノー
kicce       sātaccakārino;
為すべきこと  たゆまず為して
サターナン サンパジャーナーナン
Satānaṃ    sampajānānaṃ,
寂静にして  正知なる
アッタン ガッチャンティ  アーサワー
atthaṃ   gacchanti     āsavā.(293)
消失に  行く       煩悩は

○愚か者為すべきことを為さないで為すべきでないことを為すなり(292)
○身体の行住坐臥に注意して正知の人は煩悩消える(293)

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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