327.難所から自分を引き上げよ、泥沼に沈んだ象のように

ダンマパダ 第23 象の章 327

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

○片山一良先生訳

不放逸(ふほういつ)を楽しむ者たれ
自己の心を護り続けよ
泥に沈んだ象の如く
自己を難処より救え



○日常語訳

不放逸を楽しめ
自分の心を守れ
難所(執着)から抜け出せ
泥沼に沈んだ象のように


○子供のためのダンマパダ

年老いた巨象は
たいこの音を聞き
元気をだして
泥沼から抜け出たゾー





○ひと口メモ

 今回は物語から始めます。若い時は大変強い象がいました。しかし、年をとって弱くなりました。その象が水場に行った時に泥沼にはまって、そこから抜けられなくなりました。それを聞いた王様は象を助けるために象使いを水場に送りました。象使いたちは戦闘用の太鼓を打ち鳴らしました。その老象はその音を聞き、奮い立ち、昔の血が全身に 蘇ったように力強く足を踏み出し、見事に泥沼から脱出したのでした。

 その様子を見ていた比丘たちは仏陀にその報告をしました。仏陀はその比丘たちに、「気付いていることを楽しみ、自分の心を守りなさい。そして、泥 沼にはまった象が、奮い立ち、全力を出して泥沼から抜け出るように、自分自身の執着から脱出しなさい。」と説法されました。この説法を聞いてこの比丘たちは阿羅漢果の悟りを得たということです。

 ここで泥沼にたとえられた執着とは何か?前々回のブログ記事に書きました。
 執着を理解するために、四種類に分けています。
1.欲に対する執着です。欲しいと思うとどうしても欲しいと思い、あきらめることができない。
2.見解に対する執着は変わらない魂があるなどという邪見に対する執着です。
3.戒禁に対する執着は無意味な修行や宗教儀式に対する執着です。
4、我語に対する執着は自分の説に固執することです。
 これらは確かに、捨てるこたが難しいようです。しかし、八正道を実践することで克服することができると述べられています。やはり八正道は解脱し、涅槃に達するための王道なのです。

 この詩のはじめの言葉「不放逸(アッパマーダ)」については、前回のブログ記事で書きました。不放逸は「怠けない」と訳されることもありますが、「気付きを怠らない」ということです。時々気付いているというのでは駄目なのです。自分の心に気付いていないとき、どんな欲や怒りや愚かさが心に現れるか分からないからです。下記の315番の詩に述べられているように「 瞬時も見逃すな」ということが必要なのです。
 
内外を守られた 辺境の街のように
自分の心を守れ 瞬時も見逃すな
見逃した者たちは 地獄に引き渡され悲しむ (315)

 しかし、常に、念(気付き、サティ)を忘れないことはなかなか困難な課題です。歩く瞑想、座る瞑想を繰り返し実践し、習慣化し、念(気付き、サティ)を楽しむ境地になることです。はじめは困難ですが、繰り返し実践すれば、だんだん 不放逸を楽しむことが分かってくると思います。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*不放逸で自分の心よく守れ心の沼から抜け出すように
http://76263383.at.webry.info/200908/article_19.html

* 気付きを楽しみ心を守れ 執着捨てて解脱せよ
http://76263383.at.webry.info/200810/article_10.html


○パーリ語原文

327.
アッパマーダラター  ホータ
Appamādaratā      hotha,
不放逸を楽しむことで  あれ
サチッタマヌラッカタ
sacittamanurakkhatha;
自分の心を守れ
ドゥッガー ウッダラタッターナン
Duggā    uddharath'  attānaṃ,
難路から  引き上げよ 自分を
パンケー サンノーワ   クンジャロー
paṅke    sannova     kuñjaro.
汚泥に  沈んだ ように 象の


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

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