有学こそ 地上と地獄と 天界を 真理の言葉を 理解するのだ(45)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


セーコー  パタウィン  ヴィジェッサティ
Sekho    pathaviṃ   vijessati,
有学が   大地を    支配するだろう

ヤマローカン  チャ  イマン   サデーワカン
yamalokañ    ca    imaṃ    sadevakaṃ;
死者の世界   と    この    神々と共なる

セーコー  ダンマパダン     スデースィタン
Sekho     dhammapadaṃ    sudesitaṃ,
有学が   真理の言葉を    善く説かれた

クサロー    プッパミワ    パチェッサティ
kusalo      pupphamiva    pacessati.
巧みな人が   花を ように  摘むだろう


○直訳
有学がこの大地と死者の世界と
この神々と共なる(世界を)支配するだろう。
有学がよく説かれた真理の言葉を、
巧みな人が花を摘むように、(理解するだろう)。


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200901/article_29.html
http://76263383.at.webry.info/200912/article_2.html


○一口メモ
今回は、昨日の詩による問いかけに対する答えの詩になります。
詩の中の誰(パリ語:コー)という言葉が有学(セーコー)に入れ替わり、あとの言葉はほぼ同じです。すなわち:

「誰がこの大地と死者の世界とこの神々と共なる(世界を)支配するだろうか?」
「誰がよく説かれた真理の言葉を、巧みな人が花を摘むように、(理解するだろう)?」
この二つの問いに対して、今回の詩で次のように答えています。
「有学がこの大地と死者の世界とこの神々と共なる(世界を)支配するだろう」
「有学がよく説かれた真理の言葉を、巧みな人が花を摘むように、(理解するだろう)」

仏陀の問いかけに対する答えは有学だったのです。
仏教の聖者(悟った人)たちの中で修行を完成してもう学ぶべきものがなくなった人を阿羅漢あるいは無学(無学)と言いますが、それ以外の聖者を有学(うがく)と言います。有学はまだ学ぶべきものがあるのです。

昨日の私の解説では、仏教徒としましたが、仏教徒でも心が身体の中にも外にもあると分かってない方もいますので、正確には有学が正しいのです。
有学ならば、心を宇宙に広げていますし、真理の言葉を正しく理解しているからです。

さて、「真理の言葉」とは何か考えましょう。
1.この詩の始めの二行の内容か?
2.ブッダのすべての言葉か?
3.このダンマパダ(詩集)に述べられている真理か?
昨日はこのように、大上段に構えてしまいましたが、それほど難しく考えなくともよいと思いました。

1.真理の言葉は、始めの二行と限定しなくとも良いと思います。
それで、2.と3.が「真理の言葉」と理解して良いと思いました。

昨日と今日の詩に関する私の説明は難しかったかもしれません。よく分からなければ、保留ということにしておいてもよいと思いました。それにしても、この詩は難しいのです。私の理解も変わるかもしれません。

「有学こそ 地上と地獄と 天界を 真理の言葉を 理解するのだ」


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。

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