愚か者 自分を愚かと 知るならば 彼は悟ったと 言うべきだろう(63)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ヨー     バーロー   マンニャティ  バールヤン
Yo       bālo      maññati      bālyaṃ,
その人は  愚者が     考える      愚ろかと

パンディトー   ワーピ  テーナ    ソー
paṇḍito       vāpi    tena      so;
賢者で(ある)  こそ   それ故    彼は

バーロー  チャ    パンディタマーニー
Bālo      ca     paṇḍitamānī,
愚者が    しかし   賢者との慢心があれ(ば)

サウェー    バーロー  ティ   ウッチャティ
sa ve      bālo     ti     vuccati.
彼は 実に  愚者     と     言われる


○直訳
愚者が愚ろかと考えるその人は
それ故にかれは賢者である
しかし、愚者が賢者との慢心があれば
実に彼は愚者と言われる


○一口メモ
意訳すれば、「愚か者が自分は愚かだと知るならば、その人は賢者である。しかし、愚か者が自分は賢者だと慢心するならば、その人は本当の愚か者である。」ということになります。

しかし、本当にそうなのでしょうか?
普通に理解すると、愚か者が自分を愚か者と分かったならば、愚か者は愚か者であるである筈です。しかし、ここで愚か者が賢者であると言うことは、愚か者が賢者になったということです。
これは大変な飛躍です。
何が起きたのでしょうか?
普通は起きないことが起きたのです。

愚か者が悟ったのです。
悟ったので賢者になったのです。

愚か者は自分は愚かだとは思えないのです。
頭で自分は愚か者だと理解しても、心はそのように思っていないのです。
心はやはり、自分は正しい、愚かではないと思っているのです。
心は体験しなければ、納得しないのです。
それほど、自分が愚かであると納得することは大変なことなのです。
無明が分かる時は涅槃が分かった時なのでしょう。


「愚か者 自分を愚かと 知るならば 彼は悟ったと 言うべきだろう」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200902/article_12.html
http://76263383.at.webry.info/200912/article_16.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。

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