深ければ 湖清く 濁りない 仏法聞けば 心清らか(82)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ヤターピ  ラハドー   ガンビーロー
Yathāpi   rahado     gambhīro,
ように    湖が      深い

ウィッパサンノー  アナーウィロー
vippasanno      anāvilo;
清浄で        濁りのない

エーワン   ダンマーニ    ストゥワーナ
Evaṃ      dhammāni    sutvāna,
そのように  諸々の法を   聞いて

ウィッパスィーダンティ  パンディター
vippasīdanti         paṇḍitā.
清らかである        賢者たちは


○直訳
深い湖が
清浄で濁りがないように
賢者たちは諸々の法を聞いて
そのように清らかである


○一口メモ
最近、長年ヴィパッサナー瞑想をやっているのに悟れないと悩んでいる人の話を聞きました。なぜ悟れないのでしょうか?

全ての事柄には原因と結果があります。悟れない原因は二つあります。
①仏法を正しく理解してないこと。
②努力がたりないこと。怠けが原因です。これについては、「なぜ悟れないか」に対するスナナサーラ長老の解説が次のアドレスにあります。
http://www.j-theravada.net/howa/howa164.html

②については、言われてみれば自分でも分かると思います。自信を持って自分は努力して言えるのであれば、悟れない原因は①にあります。①について検討してください。

①については、自分ではよく分からないのです。自分の誤解には気が付けないのです。
ですから、自分の誤解を修正することは本当に難しいことなのです。「諸法を聞く」ことによってそれが可能になります。ですから、ブッダの教えをよく勉強して正しく理解しなければ、悟れません。

たとえば、悟りとは真理の究極的な理解でありますが、因果律は真理の諸相の一つです。残念ながら、創造紳を信じる人は因果律を否定することになるのです。創造紳の原因を問えないからです。ですから悟ることはできないのです。

今回の詩で、賢者の特徴として、「心が清らか」と歌われています。湖は「深い」という原因で、透明で清らかになりますが、心は、「諸法を聞く」という原因で清らかになるのです。
水の美しい湖の喩えとともに、仏法を聞くことによって心が清らかになることを覚えて下さい。

「深ければ 湖清く 濁りない 仏法聞けば 心清らか」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200902/article_28.html
http://76263383.at.webry.info/201001/article_4.html



○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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