神々も 魔も梵天も この人の 克己の勝利 くつがえせない(105)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします


ネーワ     デーヴォー ナ   ガンダッボー
Neva       devo     na    gandhabbo,
ない まさに  神は    ない  音楽神も

ナ   マーロー  サハ  ブラフムナー
na    māro    saha   brahmunā;
ない  魔も    ともに  梵天も

ジタン   アパジタン  カイラー
Jitaṃ    apajitaṃ    kayirā,
勝利を   敗北に    する

タタールーパッサ     ジャントゥノー
tathārūpassa        jantuno.
そのようなあり方の    人の  


○直訳
神も音楽神も
魔も梵天も
そのようなあり方の人の
勝利を敗北にすることは(でき)ない


○一口メモ
この詩は、104番の続きです。

「そのようなあり方の人」とは104番の「自分に勝った人、すなわち、常に自分を調御して行う人」なのです。
「そのようなあり方の人の勝利を敗北にすることは(でき)ない」とは、神々も音楽神も魔(キリスト教の悪魔とは異なる)も梵天(神より上位の天)、これらの存在は人間を上回る能力を持っていると言われていますが、自分に勝った人を堕落させることはできないということです。

このことは何を意味しているのでしょうか?

自分に勝った人とは、悟った人なのです。
悟らない限り、人間の行為は、欲と怒りと無知の煩悩に支配されているのです。ですが、自分に勝ったと言う人は、この欲と怒りと無知の煩悩に勝ったということです。しかも、常に自分を調御して行う人というのは悟った人と言っていいのではないでしょうか。

ですから、神々も梵天も、彼の勝利を敗北にできないのです。悟った人を悟りの前にもどせないのです。すでに彼の力は神々や梵天の力を上回っているのです。悟った人は堕落しないのです。

自分に勝つためには、五戒を守ることから始めたら良いでしょう。
五戒を守るには、自分の身体と言葉と心の行為に気づいていなければなりません。
これらの行為において、悪行為にならないように注意していると心が強くなり、自分に勝つことが容易にできるになります。また、慈悲の瞑想は五戒を犯す心(悪い心)と反対の心(善い心)を養成しますので、五戒を守ることが容易になります。ですから、慈悲の瞑想を実践することも必要です。


「神々も 魔も梵天も この人の 克己の勝利 くつがえせない」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_17.html
http://76263383.at.webry.info/201001/article_21.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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