挨拶と 敬老心で 徳増える 寿命と美貌 楽とパワーだ(109)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


アビワーダナスィーリッサ
Abhivādanasīlissa,
丁寧な挨拶を 習慣している

ニッチャン  ワッダーパチャーイノー
niccaṃ    vaddhāpacāyino;
常に     年長者を尊敬する者にとって

チャッターロー ダンマー   ワッダンティ
Cattāro     dhammā    vaḍḍhanti,
四つの     性質が    増大する

アーユ  ワンノー  スカン   バラン
āyu    vaṇṇo    sukhaṃ   balaṃ.
寿命   容貌    安楽    力


○直訳
丁寧な挨拶を習慣にしている
常に、年長者を尊敬する者にとって
四つの性質が増大する
(すなわち)寿命、容貌、安楽、力。


○一口メモ
この詩は、テーラワーダの僧侶が在家の方への祝福の言葉としてよく唱えるお経です。私も毎朝、瞑想にこられた方に毎回唱えております。

さて、この詩のキーワードは、昨日と同様にアビワーダナ(丁寧な挨拶、問訊)です。この詩ではシーリッサ(習慣とした)と言う言葉がついています。
すなわち、アビワーダナシーリッサの意味は「丁寧な挨拶を習慣とした」ですが、昨日と同様に、「質問を習慣とした」という意味を含んでいると考えてよいと思います。

「丁寧な挨拶を習慣にしていて、常に、年長者を尊敬する者にとっては、その人の次の性質が増大する。すなわち、寿命、容貌、安楽、力。」これはブッダの言葉ですが、本当でしょうか。やはり確かめてみる必要があります。

丁寧な挨拶を習慣にしていて、年長者を尊敬する人は、人間関係が良好になります。人間関係が良好になると、ストレスがなくなり、病気をしないようになり、寿命が伸びます。日々の生活に満足できるようになります。満足している人の容貌は美しいものです。健康で満足している人は幸福です。そのよう人には存在感があり、存在感のある人には力あります。

ここで余談を一つ。「挨拶」という言葉は禅から来た言葉だと言われています。禅問答において、一方が相手の力量をはかるために、質問をする、これが「挨」であり、その受け答えが「拶」です。この丁々発止のやり取りはその反応から相手の禅僧としての値踏みするわけですから、決して油断はできません。このような言葉が今日の日常会話で使われる「挨拶」に変わったと言うことです。禅もブッダの教えからきたものですから、「禅」が「ジャーナ」からきたように、禅語における「挨拶」は「アビワーダナ」からきたのかもしれません。ちなみに、「岩波仏教辞典」の「挨拶」のパーリ語はありませんでした。言いたかったことは挨拶には「問いと応え」と言う意味があるだろうということです。


「挨拶と 敬老心で 徳増える 寿命と美貌 楽とパワーだ」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_19.html
http://76263383.at.webry.info/201001/article_24.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーをクリックして下さい。
記事内容の改善の参考にしたいと思っています。

"挨拶と 敬老心で 徳増える 寿命と美貌 楽とパワーだ(109)" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント