智慧なく 愚かに百年 生きるより 智慧持ち 一日生きよ(111)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ヨー  チャ  ワッササタン  ジーウェー
Yo    ca   vassasataṃ   jīve,
人が  又   百年      生きる

ドゥッパンニョー  アサマーヒトー
duppañño      asamāhito;
智慧なく      心の統一なく

エーカーハン  ジーウィタン  セッヨー
Ekāhaṃ      jīvitaṃ      seyyo,
一日の      命が      より優れている

パンニャワンタッサ  ジャーイノー
paññavantassa     jhāyino.
智慧を備えて      禅定のある人の


○直訳
人が智慧なく心の統一なく
百年生きる(ことより)
智慧を備えて、禅定のある人の
一日の命がより優れている


○一口メモ
昨日の詩のキーワードは「戒(道徳)」と「禅定」でした。
今日の詩のキーワードは「智慧」と「禅定」です。
そこで、この言葉の説明をしなければなりません。

「智慧(パンニャー)」とは何か?
こでは、ポー・オーパユットー著/野中耕一編訳「増補改訂版 仏法」(p20-21)から慧(パンニャー)の意味を引用させていただきます。
「慧は、良く知るから、さらに付け加えて、すべて知る、はっきりと知る、すなわち、真実をすべて知る、と説明されてきた。ブッダは例えば次のように様々に意味をひろげて説明されている。原因を知る、善悪を知る、正しいか間違いかを知る、なすべきかなすべきでないかを知る、功罪を知る、利益・不利益を知る、行を覚知する、構成要素を知る、因縁を知る、去来を知る、一切のものの関係を知る、ありのままに知る、明白に知る、明白に理解する、実相を理解する、考えることを知る、詳細に検討することを知る、判断することを知る、どのように準備し処理するか、または、実行するかを知る、などなどである。」

このようにして、智慧は煩悩なくす武器であり(40番)、智慧によって解脱するもの(57番、96番)であり、この詩のように、智慧によって心の統一(禅定)ができるものなのです。さらに、智慧で輝くものでもあります(59番)。

次は「禅定」とは何かについて述べます。八聖道の正定には、第一禅定から第四禅定に分類されていて、次のように定義されています。

第一禅定は、もろもろの欲をはなれ、もろもろの不善の法をはなれ、大まかな考察のある、細かな考察のある、遠離から生じた喜びと楽がある。(尋、伺、喜、楽、一境性)

第二禅定は、大まかな考察、細かな考察が消え、心の統一された、大まかな考察、細かな考察のない、心の安定により生じた喜びと楽がある。(喜、楽、一境性)

第三禅定は、喜びを離れていることから、平静を備え、念を備え、正知をそなえて住み、楽を身体で感じる。(楽、一境性)

第四禅定は、楽を断ち、苦を断ち、苦も楽もない、平静による念の清浄がある。(捨、一境性)

禅定の目的は煩悩を沈めて、集中力をつけ、智慧を開発することです。この智慧の力で煩悩を捨てて、解脱するのです。


「智慧なく 愚かに百年 生きるより 智慧持ち 一日生きよ」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_20.html
http://76263383.at.webry.info/201001/article_26.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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