善いことは 再三再四 繰り返せ 繰り返すなら 幸せになる(118)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


プンニャンチェー  プリソー  カイラー
Puññañce      puriso    kayirā,
善を もし      人が    為すならば

カイラーテータン   プナップナン
kayirāthetaṃ      punappunaṃ;
為せ  それを    再三再四

タンヒ    チャンダン  カイラータ
Tamhi     chandaṃ    kayirātha,
それに    意欲を    為すように

スコー  プンニャッサ  ウッチャヨー
sukho   puññassa    uccayo.
楽     善の       集積は


○直訳
もし、人が善をなすならば
それを再三再四為せ
それに意欲を為すように(=それを求めよ)
善の集積は楽(である)


○一口メモ
昨日の詩のテーマは、悪いことをしたら、どのようにするかと言うことです。
それは、すぐやめると言うことでした。そして、悪いことを繰り返し行わないということでした。

今日の詩のテーマは、善いことをしたらどうするかということです。当たり前なことですが、その善いことは繰りせということです。

まとめて言えば、悪いことは繰り返さない、善いことは繰り返すことです。
悪行為をしないことは善行為ですから、悪行為を繰り返さないことは善行為を繰り返すことです。

例えば、ゴキブリを見た時、気持ちが悪いという思いが現れました。以前はそうすると、ゴキブリを殺そうとして、実際にも殺しました。しかし、今回はゴキブリも生命だ、殺してはいけないと思い、殺すのをやめました。その時は、ゴキブリを殺すという悪行為を止めたので、ゴキブリを殺さないという善行為をしたのです。

ですから、117番と118番の詩は同じことを裏表の表現なのです。どちらも幸福になる方法を教えているのです。

しかし、この二つの詩には、もう一つ重要なことを教えています。悪いことは繰り返さないことを繰り返す。善いことは繰り返す行うことです。どちらも繰り返すことが大切だと言っているのです。

精進とは繰り返し行うことです。修行のコツは繰り返すことです。瞑想が上達しないと思う時は、繰り返し行うことです。

ブッダの経典を読むと繰り返しが非常に多いのです。これは無駄に繰り返しているわけではありません。ブッダは聞く人がよく分かるように、繰り返す説法されているのです。なかなか理解しない、凡夫のために慈しみと憐れみの心で説法されておられるのです。ですが、繰り返して学べば理解できるという意味もあります。私たちは、繰り返すことによって、心と脳と身体が少しずつ学ぶのです。

「善いことは 再三再四 繰り返せ 繰り返すなら 幸せになる」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_23.html
http://76263383.at.webry.info/201001/article_30.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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