罪のない 清らかな子 いじめるならば 悪の結果は 己に戻る(125)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ヨー    アッパドゥッタッサ  ナラッサ  ドゥッサティ
Yo       appaduṭṭhassa    narassa    dussati,
その人    悪意のない     人に    悪意を持つ

スッダッサ  ポーサッサ  アナンガナッサ
suddhassa posassa    anaṅgaṇassa;
清らかな   人を      汚れない

タメーワ    バーラン  パッチェーティ  パーパン
Tameva     bālaṃ     pacceti       pāpaṃ,
その まさに  愚者に    戻る       悪は

スクモー  ラジョー  パティワータンワ  キットー
sukhumo  rajo     paṭivātaṃva      khitto.
微細な   ちり     風に逆らって    投げられた


○直訳
悪意のない人に悪意を持つ
清らかな、汚れのない人を(汚す)その人は
まさにその愚か者に悪は戻る
風に逆らって投げられた微細な塵(のように)


○一口メモ
悪意のない人に悪意を持ち、清らかな汚れのない人を汚すならば、その悪行為の結果は、その悪行為をなした本人に戻ってくることを知るべきなのです。

その事実を知らない人が多すぎるのです。ですから平気で悪いことをする人がたくさんいます。悪行為は地獄に行くからやらないということでなく、生命への慈しみに反するからやるべきではありますが、地獄が怖くてやらないと言う面もあってもいいと思います。

最近、大きく報道されている「大津市いじめ自殺事件」などは、いじめた人々がどれだけ大きな悪業を作って、将来大変なこと(地獄で苦しむこと)になるかは、全然分かっていないと思います。このようなことは迷信だとか言う前に、学校教育でも教えるべきだと思います。現状の日本では学校教育で行うのは難しいのであれば、なんとかこのような情報を子供たちに伝えていきたいと思います。

「いじめ自殺事件」はすでに、何回も問題になっていますが、本当になにも改善されていません。これは、今日の日本人一人ひとりが心に持っている病根から来ているのではないかと思います。日本人が卑怯者になっているのです。私は自分の心を見て言っているのです。私はそうではないとは言いません。眼の前の悪に対して、眼をつぶり、自分を守っているからです。自分に火の粉が降りかからなければよいと逃げているのです。
 
誰か一人でもよい、いじめられている子供を、身を挺して守ったのでしょうか。一人でもいれば、その子は自殺をしなかったのではないかと思います。私は、それほど詳しくこの事件の情報を持っていませんから、間違った判断もあるかと思いますが、「あたかも母が、たった一人の我が子を、命がけで守るように、(慈経より)」その子を守る人がいたならば、その子は自殺をしなかったと思うのです。


「罪のない 清らかな子 いじめるならば 悪の結果は 己に戻る(125)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_28.html
http://76263383.at.webry.info/201002/article_4.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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