空中も 海水中も 山中も 悪業からは 逃げられないよ(127)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ナ   アンタリッケー   ナ   サムッダマッジェー
Na    antalikkhe     na    samuddamajjhe,
ない  空中に       ない  大海の 中に

ナ     パッバターナン  ウィワラン   パウィッサ
na     pabbatānaṃ    vivaraṃ    pavissa;
ない   山の        洞窟に     入っても

ナ   ウィッジャティ  ソー         ジャガティッパデーソー
Na   vijjati        so           jagatippadeso,
ない  見出され     その(場所)は    大地のどの地方にも

ヤッタッティトー    ムンチェッヤ   パーパカンマ
yatthaṭṭhito       muñceyya     pāpakammā.
そこに立てる者が   逃げ出せる   悪業から


○直訳
空中にない、大海の中にない
山の洞窟に入ってもない
そこに立てる者が悪業から逃げ出せるその場所は
大地のどの地方にも見出されない


○一口メモ
業は、行為そのものを指す場合と、行為の結果を意味する場合があります。この詩では、行為の結果を意味しています。
ですから、この詩の意味は、行為の結果からは逃げることはできないということです。
善い行為の結果は、善い結果に決まっていますから、その結果を恐れる必要はなく、逃げる必要がありません。

しかし、悪い行為の結果からは、逃げられないことは恐ろしいことなのです。悪い行為の結果は悪い結果に決まっているからです。どこに逃げようとも、辛い、苦しい恐ろしい結果が待っているのです。

ですから、悪い行為の結果(悪業)の原因を作るなということです。悪いことをしなければ問題はありません。ブッダが悪業から逃げられないことを強調されるのは、私たちに、悪い行いをして、不幸にならないように、注意されているのです。

ところで、なぜ悪業から逃れないのか、説明しておきましょう。始めに述べましたように、業は行為そのもの、あるいは行為の結果ですが、それは行為者の潜在的エネルギーとして心に蓄積されています。ですから、行為者の心が有る所、行く所、どこにでも付いて行くからです。

いじめという悪行為をするものも、たとえ子供でも決してその悪業からは逃れられません。大人も子供もそれを胆に銘じるべきです。


「空中も 海水中も 山中も 悪業からは 逃げられないよ」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_30.html
http://76263383.at.webry.info/201002/article_6.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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