着飾るも 冷静自制 純潔な 暴力振るわぬ 彼はバラモン(142)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


アランカトー  チェーピ  サマン   チャレッヤ
Alaṅkato     cepi     samaṃ  careyya,
着飾ると    いえども   正しく   行い

サントー  ダントー  ニヤトー  ブラフマチャーリー
santo    danto    niyato    brahmacārī;
静まり   調御し  定まり    梵行者(であり)

サッベース  ブーテース  ニダーヤ  ダンダン
Sabbesu    bhūtesu    nidhāya   daṇḍaṃ,
すべての   生き物に    下に置く   棒を

ソー  ブラーフマノー  ソー  サマノー   サ   ビックー
so   brāhmaṇo     so    samaṇo   sa   bhikkhu.
彼は バラモン     彼は  沙門     彼は  比丘


○直訳
着飾るといえども、正しく行い
(心が)静まり、(自己を)調御し、(道が)定まる、梵行者(であり)、
すべての生き物に対して棒を下に置く
彼はバラモン、彼は沙門、彼は比丘(である)


○一口メモ
上の直訳の「着飾るといえども」の意味は、昨日の141番の出だし「裸身の行」と対比して、外見はどうであれ、大切なことは、行為と内面、心の状態だと言っているのです。

行為と内面のチェックポイントは次の通りです。
①正しく行うこと。五戒を守っていること。
②心が静まっていること。
③自己を制御していること。
④道が定まっていること。仏道を歩むという確信があること。
⑤梵行者であること。禁欲、清浄行の実践者でありこと。
⑥「すべての生き物に対して棒を下に置く」の意味は「すべての生き物に対して暴力を振るわない」ということ。

この詩は昨日の詩とは独立のものとも考えられますが、一対の詩と考えた方が分かりやすいと思います。また、実は昨日の詩には棒(暴力)と言う言葉が出ていないのに、「暴力の章」に編集されているのです。それは今回の詩と一対になっているからだと考えられます。

①から⑥を実践している人は、バラモン(阿羅漢)であり、沙門(出家修行者)であり、比丘であると言うのです。

ダンマパダには外見と内面に関する次のような詩が既にありました。
煩悩の 汚れなくさぬ 坊さんは きれいな衣が 似合いませんよ(9)
煩悩の 汚れなくす 坊さんは きれいな衣が よく似合う(10)


「着飾るも 冷静自制 純潔な 暴力振るわぬ 彼はバラモン」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200904/article_8.html
http://76263383.at.webry.info/201002/article_15.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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