職人は 材料ととのえ 仕事する 清浄な人は 自己をととのえる(145)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ウダカンヒ   ナヤンティ  ネッティカー
Udakañhi    nayanti    nettikā,
水を まさに  導く     治水者は

ウサカーラー  ナマヤンティ  テージャナン
usukārā     namayanti   tejanaṃ;
矢作りは    矯正する    矢を

ダールン  ナマヤンティ  タッチャカー
Dāruṃ    namayanti   tacchakā,
木を     矯正する   大工は

アッターナン  ダマヤンティ  スッバター
attānaṃ     damayanti   subbatā.
自己を     調御する    善行者は


○直訳
まさに治水者は水を導く
矢作りは矢を矯正する
大工は木を矯正する
善行者は自己を調御する


○子供のためのダンマパダ
あのおじちゃんたちは水田に水を導いているんですよ
このおじちゃんたちは矢を作っているんですよ
このおじちゃんたちは家具職人ですよ
尊師、私は何をやればいいのですか
出家した人は心を育てるものなんですよ


○一口メモ
前々回のブログ記事に次のように書いてあります。
「今回の145番の詩は、80番の詩と、4行目の一つの言葉、「賢い人」と「善行者」だけ異なるだけです。80番は「賢者の章」の詩ですが、今回は「暴力の章」の中の詩です。なぜここにあるのかは分かりません。古典といわれるものは、古い時代のものだけに、言葉の使い方や背景となる時代が違いますので現代からは、理解できない謎も多いのです。仏教の本筋から言えばそれらに興味を持つのは邪道かも知れませんが、たまにはそんなことを考えるのも楽しいものです。」

しかし、今はこの詩が「暴力(棒)の章」に置かれているかわかります。詩には「矢」(武器)という言葉があるからです。80番の詩は、「賢者」という言葉があるので、「賢者の章」にあるのです。2009年には分からなかったことが、2012年には分かるというのも面白いです。

この詩ができた因縁物語は、大人にも子供にも非常に面白く、ためになるものですから是非お読みください。前回のブログ記事に、スマナサーラ長老がまとめたものを引用してあります。http://76263383.at.webry.info/201002/article_17.html


「職人は 材料ととのえ 仕事する 清浄な人は 自己をととのえる」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200904/article_10.html
http://76263383.at.webry.info/201002/article_17.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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