肉体は くたびれはてて 病気して 実に寿命は 死で終わるなり(148)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


パリジンナミダン  ルーパン
Parijiṇṇamidaṃ    rūpaṃ,
老い朽ちた この  身は

ローガニッダン  パバングラン
roganiḍḍhaṃ,   pabhaṅguraṃ;
病の巣で     壊れやすい

ビッジャティ  プーティサンデーホ
Bhijjati     pūtisandeho,
壊れる     腐った身体は

マラナンタンヒ  ジーウィタン
maraṇantañhi   jīvitaṃ.
死が終極 実に  生命は


○直訳
老い朽ちたこの身は
病の巣で、壊れやすい
腐った身体は壊れる
実に、生命は死が終局

○一口メモ
ヴィパッサナー瞑想を実践すると、始めに現れてくる智慧があります。
それは「名色分離智慧」と言われます。この場合、「名」とは「心」と言う意味です。「色」とは肉体を意味するのです。すなわち、生命は心と肉体から構成されていて、それは同一のものでなく、分離していることが分かる智慧です。

ヴィパッサナー瞑想について知らない方は、スマナサーラ長老の「自分を変える気づきの瞑想法」(株式会社サンガ)をお読みになって下さい。
また以下の瞑想法は、この本にそって記述します。

歩く瞑想で、名色分離智慧について調べてみましょう。
実際に右足を上る。その時、「右足、上げます」と声を出さずに実況中継します。右足が上がっていることに気づいているのです。
次は、その右足を前に運びます。その時、「運びます」と声を出さずに実況中継します。右足が運ばれていることに気づいているのです。
その次は、その右足を下に下します。その時、「下します」と声を出さずに実況中継します。右足が下されていることに気づいているのです。

同様に次は左足についても行い、また右足についても行います。これを毎日30分から1時間くらい繰り返す実践すると、次のことが分かってきます。

動いている肉体である足と、そしてそれに気づいている心が別々にあることが分かってきます。しかし、肉体と心は、心が始動していますが、相互に影響していることも分かります。例えば、心が足を動かそうと思わなければ、足は動かないのです。逆に、足が疲れてくると心は歩く瞑想をやめたくなるなどです。

なぜ、この詩に関して名色分離智慧について述べたかと言えば、心と身体はいつも一緒に働いていますが、別の法則に従っていることを知ってもらいたかったのです。

肉体は必ず、老化し、病気になり、壊れて、死ぬのですが、心はそうではないのです。心は老化しないのです。しかし、心は育てなければ、いつまでも無知・無明の中にいて、苦しみを繰り返すのです。ですから、大切なことは、肉体が壊れることを嘆くのではなく、心を育て、智慧を学び、苦しみをなくすことが大切なのです。

ですから、ブッダは繰り返し、生老病死について述べ、それを直視することを教えているのです。


「肉体は くたびれはてて 病気して 実に寿命は 死で終わるなり」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200904/article_13.html
http://76263383.at.webry.info/201002/article_20.html

○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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