自分から 生じ現れた 悪行が 自分自身を 不幸にするのだ(161)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


アッタナーワ     カタン   パーパン
Attanāva       kataṃ    pāpaṃ,
自己によって正しく  為された  悪が

アッタジャン    アッタサンバワン
attajaṃ       attasambhavaṃ;
自己から生じた   自己から起きた

アビマッタティ  ドゥンメーダン
Abhimatthati   dummedhaṃ,
打ち砕く     智慧劣る者を

ワジラン  ワスママタン     マニン
vajiraṃ   v'asmamayaṃ     maṇiṃ.
ダイヤが  石よりできた     宝珠を 如く


○直訳
まさしく自己によって為された悪が
自己から生じた(悪が)自己から起きた(悪が)
智慧劣る者を打ち砕く
ダイヤが石よりできた宝珠を(打ち砕く)如く


○一口メモ
この詩は、繰り返し述べられている因果律、自業自得、悪因悪果について語られています。
例を挙げれば、71番、72番などの詩があります。

悪行為 すぐに結果が でなくとも 悪業として 付いて来るのだ(71)
http://76263383.at.webry.info/201205/article_16.html

愚か者 考えるならば 害ばかり 幸運と頭脳を 壊すこととなり(72)
http://76263383.at.webry.info/201205/article_17.html

特にこの詩では自業自得の自(自分)について強調されています。他人が為した悪でなく、自分が為した悪なのだということです。

Attanāva :まさしく自分によって
attajaṃ :自分から
attasambhavaṃ :自分から起きた

短い詩の中で、三回も少しずつ言葉を変えて述べられているのです。
悪を為すのは自分自身だということを胆に銘じるようにということだと思います。
そして、その結果を受けるのは、自分なのです。

尚、自業自得は日常の言葉では悪業について述べられていますが、本来は善業についても使われるべき言葉です。すなわち、自分が善いことをすれば、自分に善い結果が現れるということです。しかし、この詩では自分の悪行為について特に注意しています。


「自分から 生じ現れた 悪行が 自分自身を 不幸にするのだ」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200904/article_24.html
http://76263383.at.webry.info/201003/article_3.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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