放逸を 後には止めた 正念者 満月のよう 世を照らす(172)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


○子供のためのダンマパダ

三年寝ていた寝太郎は
ある時突然起き上がり
岩を動かし川を止め
洪水のない農地を作ったとさ


○パーリ語原文と訳語

ヨー  チャ   プッベー  パマッジトゥワー
Yo    ca    pubbe    pamajjitvā,
者が  しかし  以前は    放逸であった

パッチャー ソー   ナッパマッジャティ
pacchā    so    nappamajjati;
後で    彼は   不放逸になる

ソー  イマン  ローカン  パバーセーティ
So   imaṃ   lokaṃ    pabhāseti,
彼は  この   世を    輝かす

アバー  ムットー  ワ     チャンディマー
abbhā   mutto   va     candimā.
雲を   離れた   ように   月


○直訳
以前は放逸であった者が
しかし、後ではれは不放逸になった
彼はこの世を輝かす
雲を離れた月のように


○一口メモ
「子供のためのダンマパダ」では表現できなかったのですが、この詩では「怠け」と「放逸」の違いを理解することが大切です。

この詩の因縁物語にサムマジャナ(掃除)長老が出てきます。彼は一日の多くの時間を僧院の掃除に費やしていました。一方、レヴァタ長老は、多くの時間を瞑想に集中していました。ある時、サムマジャナ長老はレヴァタ長老に「あなたは大変な怠け者だ」と批判しました。これに対して、レヴァタ長老は「比丘は一日掃除ばかりしていればよいと言うものではない。多くの時間は、瞑想して、自分自身に注意を向けている不放逸の態度が必要だ」と諭しました。彼はこの忠告に目覚めて、以後正しい修行に励み、「雲を離れた月のように世を輝かす」阿羅漢になりました。

という訳で、修行者が掃除などをして働いていれば怠けているとは言えませんが、修行者の本分である正しい修行するという点から見ると怠けているということになります。正しい修行をするためには、不放逸(心を悪から守る気づきを続けること)が必要なのです。この気づきによって心が成長し、智慧が生まれ、修行者は阿羅漢になり、世を輝かすことができるのです。この気づきを育て、智慧を開発する瞑想がヴィパッサナー瞑想です。

尚、「子供のためのダンマパダ」に用いた三年寝太郎の話題はいろいろな伝説があるようですが、私は単に、三年寝ていて怠けていた寝太郎が、ある時皆のために働いて、皆のためになる仕事をして、皆に喜ばれたと言うことを言いたかっただけですので、あまり、深く詮索しないで下さい。


「放逸を 後には止めた 正念者 満月のよう 世を照らす」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200905/article_4.html
http://76263383.at.webry.info/201003/article_13.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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