聖賢と 共に生きれば 幸せだ 愚かな者に 会わないことも(206)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。

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○子供のためのダンマパダ

聖者にあうのは楽しいよ
いっしょに生活できればなお楽しい
わがままな人と
いっしょでないのなら苦労はない


○パーリ語原文と訳語

サーフ  ダッサナマリヤーナン 
Sāhu   dassanamariyānaṃ,
よい   聖者に会うことは

サンニワーソー  サダー  スコー
sannivāso     sadā    sukho;
共に住むことは  常に    幸せ

アダッサネーナ  バーラーナン 
Adassanena    bālānaṃ,
会わないことで    愚者に

ニッチャメーワ  スキー    スィヤー
niccameva     sukhī     siyā.
常に 実に    幸せな者で  あるだろう


○直訳
聖者に会うことはよい
共に住むことは常に幸せ
愚者に会わないことで
常に実に幸せな者であるだろう


○一口メモ
余計な説明はいらないような気がします。ブッダの言葉を繰り返しお読みください。

とは言っても、何かを言うならば、聖者は最高の善友です。善友に会えれば幸せだし、一緒に生活できれば最高に幸せです。

聖者とはどんな人かの説明は必要ですね。ここでは聖者とは、悟った人々と悟る一歩手前の人のことです。ブッダは四段階の悟りがあると教えています。一段階は預流果、二段階は一来果、三段階は不還果、四段階(最終段階)は阿羅漢果です。それぞれにその一歩手前の人(悟る準備のできた人)がいますから、八種類の聖者がいるのです。

悟ったからには、一度は無明が破れ、涅槃を体験しているのですが、煩悩は心にこびりついていて、一編には心から無くすことはできないのです。最初の悟り、預流果では有身見(永遠不滅の真我があるという誤解)、疑(仏教の真理にたいする疑い)、戒禁取(かいごんしゅ:無意味な苦行や宗教儀式や儀礼)の三つの煩悩がなくなります。阿羅漢果ではすべての煩悩がなくなります。という訳で、最初の悟りを体験しても、いわゆる悟後の修行が必要なのです。

聖者に会うことに反して、愚かな人々に会い、一緒に生活しなければならなければ、どんなに大変でしょう。ですから愚かな人々に会わないだけでも幸せになります。


聖賢と 共に生きれば 幸せだ 愚かな者に 会わないことも(206)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_17.html
http://76263383.at.webry.info/200906/article_2.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_8.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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