一切の 法は無我だと 知るならば 苦から離れて 清らかになる(279)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
あなたには身体と心がありますが、
身体も変わるし、心も変わる。
変わらないものはありません。
ですから昨日のあなたと
今日のあなたは違います。


○パーリ語原文と訳語

サッベー  ダンマー  アナッター  ティ
Sabbe    dhammā   anattā'   ti,
一切の   法は     無我    と

ヤダー   パンニャーヤ   パッサティ
yadā    paññāya     passati;
時     智慧により   見る

アタ   ニッビンダティ  ドゥッケー
Atha   nibbindati     dukkhe,
その時  厭い離れる    苦を

エサ   マッゴー   ヴィスッディヤー
esa    maggo    visuddhiyā.
これは  道      浄化するための


○直訳
一切の法は無我で(ある)と
智慧により見る時
その時苦を厭い離れる
これは浄化のための道


○意訳
すべての事物は無我だと
智慧によって見る時
苦を厭い離れる
これは清浄への道である


○一口メモ
今日は、無常・苦・無我の三番目「無我」について述べます。無我は前の二つと少し違う所があります。それが詩の言葉でも違います。初めの二つは「一切の現象は無常だ」あるいは「一切の現象は苦だ」という表現ですが、無我については、「一切の法は無我だ」という表現になっています。パーリ語で言えば、saṅkhārā(現象)とdhammā(法)の違いです。先ずそのことを始めに説明しておきましょう。

無常・苦は現象界に適応できる真理ですが、現象を超越した涅槃については適応できないのです。ですからすべての現象は無常(苦)だと述べています。しかし、すべての法(現象界及び涅槃)は無常(苦)だとは言えないのです。涅槃は無常ではないし、涅槃はすべての苦がなくなった世界だからです。しかし、無我は涅槃においても適応できるのです。涅槃は無我だとも言えるのです。

では、無常・苦と無我はどのように違うのでしょうか? 無常と苦を矛盾と言う言葉で説明してきました。では無我がどうなのでしょうか? 無我には矛盾がないのです。無常とは有ると無いとの矛盾として存在していることです。また存在は無常だから存在しているのだと述べました。矛盾とは相反するものの対立です。存在の場合は有ると無いとの対立です。この対立が苦なのです。

それなのに、無我に至って矛盾がないとはどういうことでしょうか? 私たちは、有ると無いとは矛盾だとしてとらえてしまうのです。しかし、「有ると無い」が真実、真理なのです。これがありのままの世界なのです。ですから真理は矛盾なのです。真理は矛盾がないとも言えるのです。人間が無常と思い、苦と思うのです。涅槃には無常もないし、苦もないし、矛盾(対立)もないのです。

無我とは何かに対立するものが何もないということです。しかし、人間は常に何かに対立ものを自分のなかに作っています。それが自我です。それがないことを知ることが真理を知ることです。それが「すべての事物は無我だと、智慧によって見る時」、心は清らかになる」と言うことです。

この3日間は少し難しい話し、分かり難い説明になりました。真理を理解するためには、ものごとの表面的な現象を見るだけではいけません。現象の裏、現象の原因を洞察する努力が必要です。それによって智慧が現れ、真理が分かるのです。とはいえ、明日からはもう少し分かりやすく説明します。


一切の 法は無我だと 知るならば 苦から離れて 清らかになる(279)


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法
*魂は巨大妄想の産物である ~仏教の無我が因縁論です~
http://www.j-theravada.net/howa/howa163.html


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200808/article_31.html
http://76263383.at.webry.info/200907/article_15.html
http://76263383.at.webry.info/201005/article_20.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎11月17日(土)の夜、および11月18日(日)の朝の自主瞑想会はお休みです。
ワンギーサが八王子市の正山寺のカティナ衣法要に参加するため。

◎10月30日雨安居は終了しましたが、ワンギーサがゴータミー精舎に滞在中は
朝5時から7時まで及び夜7時から9時までのゴータミー精舎での自主瞑想会は
毎日行います。ふるって参加して下さい。但し木曜の夜は、瞑想会は休みます。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。

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