渇愛を 捨て疑いを 無にすれば この世において 正遊行する<367>

○少年少女のためのスッタニパータ367.
・・・
欲張らず
どんな生きものにも優しく接し
人の善意を信じて
この世を正しく生きよう


スッタニパータ367. 第2 小さな章 13.正遍歴遊行経 9.

○中村元先生訳
367
修行者が、貪りと迷いの生存(の望み)とを捨てて、
(生きものを)切ったり縛ったりすることをやめ、
疑惑を超え、(煩悩の)矢を抜いたのであれば、
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。


○正田大観先生訳
370.(367) 
比丘が、貪欲〔の思い〕も、〔迷いの〕生存も、〔両者ともに〕捨棄して、
しかして、〔命あるものを〕切ることや縛ることから離れたなら、
彼は、懐疑を超え、矢を抜いた者であり、
彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。(9)


○パーリ語原文
369.
ローバンチャ    バワンチャ    ウィッパハーヤ
‘‘Lobhañca     bhavañca     vippahāya,
貪欲を・と      生存を・と    捨てて

ウィラトー    チェーダナバンダナー   チャ    ビック
virato       chedanabandhanā      ca     bhikkhu;
離れた      切ること縛ることから    そして  比丘は

ソー   ティンナカタンカトー    ウィッロー
So     tiṇṇakathaṃkatho     visallo,
彼は   疑惑を超えた者      矢を抜いた者

サンマー    ソー  ローケー    パリッバジェッヤ
Sammā     so    loke       paribbajeyya.
正しく      彼は  世において  遍歴するだろう


○一口メモ
渇愛には「欲への渇愛、生存への渇愛、虚無への渇愛」があると言われていますから、この偈の一行目「貪りと迷いの生存(の望み)とを捨てて」とは、渇愛を捨ててということでしょう。渇愛は苦の原因であり、輪廻の原因でありますから、渇愛を捨てれば、苦しみをなくし、輪廻を止めることです。これは解脱して、涅槃に至るということです。

二行目「(生きものを)切ったり縛ったりすることをやめ」は、五戒の第一の項目です。これは慈悲の行為なのです。

三行目は「疑惑を超え、のであれば」は、二つの事柄が述べられています。一つは「疑惑を超え」ですが、普通に考えれば、ブッダの教えに疑いを持たない、確信を持つということです。しかし、もう少し一般的に考えて良いかなと思います。それはすべて事柄に対して疑いを持たないことです。すべてを受け入れるという態度です。すべてを受け入れた人は阿羅漢の態度かなと思います。

二つは「(煩悩の)矢を抜いた」方は、解脱された阿羅漢でしょう。

このように理解すれば、阿羅漢は「正しく世の中を遍歴するであろう」ということになります。
これでは、当然ということになりますが、この偈では、阿羅漢の特徴を示して、具体的な項目で、正しく遍歴遊行する人のあるべき態度を述べているのです。


渇愛を 捨て疑いを 無にすれば この世において 正遊行する<367>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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