渇愛は 苦の原因だと よく知って 比丘は眼を開け 遍歴すべき<740前の散文と740.741.>

○少年少女のためのスッタニパータ<740前の散文と740.741.>
・・・
好きなものを見ると
ほしいと思う。
これが渇愛です。


第3 大きな章 12.二種の観察経 17前の散文と17.18.

○中村元先生訳
 「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだけかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか? 『およそ苦しみが生ずるのは、妄執(愛執)に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。『しかしながら妄執が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。──すなわち現世における<さとり>か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」──

 師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せに師はさらにまた次のように説かれた。

740
妄執を友としている人は、
この状態からかの状態へと
永い間流転して、
輪廻を超えることができない。

741
妄執は苦しみの起る原因である、
とこの禍いを知って、
妄執を離れて、執著することなく、
よく気をつけて、修行僧は遍歴すべきである。


○正田大観先生訳
 (8)「『他の教相によってもまた……略……。では、どのように、〔他の教相によってもまた、正しく、二なることの随観は〕存在するのでしょうか。『それが何であれ、苦しみが発生するなら、一切は、渇愛〔の思い〕という縁から〔発生する〕』ということで、これが、一つの随観となります。『まさしく、しかるに、渇愛〔の思い〕の残りなき離貪と止滅あることから、苦しみの発生は存在しない』ということで、これが、第二の随観となります。〔比丘たちよ、〕このように、正しく……略……。しかして、他にも、〔世の〕教師たる方は、こう言いました。

746.(740) 
「渇愛を伴侶とする人は、
長時にわたり輪廻しながら、
〔今〕この場の〔迷いの〕状態(現世)から他の〔迷いの〕状態(来世)へと〔流転し〕、
〔生死の〕輪廻を超克することはない。(17)

747.(741) 
この危険を知って、
渇愛〔の思い〕を苦しみの発生と〔知って〕、
渇愛〔の思い〕を離れ、執取〔の思い〕なく、
〔常に〕気づきある比丘として、遍歴遊行するように」と。(18)


○パーリ語原文
745.(740)
タンハードゥティヨー    プリソー
‘‘Taṇhādutiyo        puriso,
渇愛を伴とする       人は

ディーガマッダーナ    サンサラン
dīgham・addhāna      saṃsaraṃ;
長い・時間に        輪廻し

イッタバーワンニャターバーワン
Itthabhāvaññathābhāvaṃ,
この状態から別の状態へと

サンサーラン    ナーティワッタティ
saṃsāraṃ      nātivattati.
輪廻を        越えない


746.(741)
エータマーディーナワン    ニャトゥワー
‘‘Etamādīnavaṃ         ñatvā,
この禍を              知って

タンハン    ドゥカッサ     サンバワン
taṇhaṃ     dukkhassa     sambhavaṃ;
渇愛を     苦の        発生と

ウィータタンホー    アナーダーノ
Vītataṇho        anādāno,
渇愛を離れ       執着することなく

サトー     ビック      パリッバジェーティ
sato       bhikkhu     paribbaje’’ti.
気を付けて  比丘は     遍歴すべき・と


○一口メモ
今回のテーマは渇愛です。渇愛については728偈の生存の素因(生存の基礎)の項で学びました。生存の素因を渇愛としたわけですが、これには業と考え方もあります。注釈書にはそのように書いてあります。ここでは明確に渇愛と言葉で述べられています。渇愛のパーリ語は‘Taṇhā(タンハー)ですが、中村先生は妄執(愛執)と訳されます。渇愛は仏教用語であり、中村先生はなるべく仏教用語を使わないで訳そうとされているからだと思います。

728偈の渇愛は四聖諦の二番目集諦(苦の原因)の渇愛です。今回は十二因縁の八番目の渇愛です。それは1無明、2潜在的形成作用(行)、3識別作用(識)、4名称と形態(名色)、5感覚器官(六処)、6接触(触)、7感覚(受)、8渇愛、・・・・・と続きます。

ですから、ここで渇愛を考えるときは、このつながりの中で考えた方がよいのです。前回学んだ感覚(受)では、その感覚から離れないでいると、すぐに今回の渇愛が現れるのです。そしてこの渇愛を縁として苦が生まれるのです。また明日のテーマの執着はこの渇愛があるとすぐ執着が現れます。渇愛の前後、また渇愛自身が苦の原因になるのです。十二因縁の流れは非常に危険です。どこかでこの流れを止めなければなりません。

特に、感覚を縁にして渇愛が現れてところに注意を向けるのです。いろいろな感覚が現れてもそのままにして、渇愛が現れないようにするのです。ヴィパッサナー瞑想で気づき(サティ)を入れてこの流れを止めるのです。このことを「よく気をつけて」と中村先生は訳されています。


渇愛を 友とする人 長期間 転生続け 輪廻を超えぬ<740>

渇愛は 苦の原因だと よく知って 比丘は眼を開け 遍歴すべき<741>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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