「熱望」の続き「満ち足りたところから」

ワン爺の独り言(2017.2.18.)
「熱意」と「熱望」について、もう少し考えてみましょう。この微妙な違いを熟慮することが学びになります。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou025_sub.htm


【満ち足りたところから】
欠けたところから生じるのが「熱意」であり、満ち足りたところから生じるのが「熱望」である。そして、人をして不滅のやすらぎへといざなう「熱望」も満ち足りたところから生じるものである。

ところで、「熱意」は果てしないものとなるが「熱望」は終局があるものである。 そして、人が円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと行き着いたとき「諸仏の誓願」を知ることとなる。

覚りの境地に至ることを目指す人は、ことわりをこころに知って、まず生活を安立せしめ、その上で覚りの境地を求めるべきである。


※ワン爺のコメント
私もこの「熱意」と「熱望」の違いがよく分かったとは言えませんが、「熱意」は満足してない人が満足を得ようとする人の気持ちであり、「熱望」は満足をしている人が持つ希望のようなものかなと思います。
また、「『熱意』は果てしないものとなるが『熱望』は終局があるものである。」という文章は、二つの違いを明確にしてくれます。


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