かれこそ「志」のある人

ワン爺の独り言(2017.5.31.)
どんな人が「志」ある人か? SRKWブッダはこの理法で述べています。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou126.htm


(以下引用)

【志】

心構え正しく、聡明であって、自己を妄想する不当なる思惟の根本を断じ、順逆の念を離れ、勝敗を捨て、煩悶を制し、怒りを静め、欲望の燃えさかること少なく、世間を平らかに見て、自らが自らに打ち勝って争いを超克し、人と世の真実を知ろうと熱望している人。かれこそ志のある人である。

かれは、人間関係においても、誰もけしかけず、いかなる人にもけしかけられず、言葉を慎み、行ないを慎しみ、意(おもい)を慎み、人を怨むことも人に怨まれることも無い。それゆえに、かれがいわゆる「出る杭」であったとしてもかれの属する集団の調和が乱れることは無く、またかれが最上の謙虚さを発揮したとしても集団の行く末に不吉なことは見出せない。かれは、破滅から遠く隔たっているからである。それゆえに、かれの属するその集団は<幸福に栄える>ことになる。

こころある人は、ひととしてのあり得べきこの(健き)志をもって自らの人生を歩めかし。

(以上引用)


※ワン爺のコメント
SRKWブッダの過去の「志」に関するtweetから幾つかを引用します。

「如来が世を見るに、年少にして道を志す者は稀有であり、中年にして道を志す者は少なく、老人が道を志す者はほとんど見ない。これでは、覚る人が少ないのも当然のことであろう。 ところが、年齢とは関係なく道を志す人がある。そのような人こそ覚るべきであろう。」

「預流果とは、志を完成した人である。志ある人とは、心構え正しく、聡明であって、自己を妄想する不当なる思惟の根本を断じ、順逆の念を離れ、勝敗を捨て、煩悶を制し、怒りを静め、欲望の燃えさかること少なく、世間を平らかに見て、自らが自らに打ち勝って争いを超克し、人と世の真実を知ろうと熱望している人。 かれこそ志のある人である。」

「浅はかな者は志が無く、愚かな者は初心を忘れてしまう。志があり、初心を忘れない人こそ、修行者と呼ぶに相応しい。」

「たとえ何を持っていて、どんなに恵まれていても、それはすべて自分ならざるものである。たとえ何一つ持たず、どんなに貧しくても、志ある人はこの世の最高の宝を持っているのである。そのような人は、次第次第に功徳を積み、ついに究極の境地に到達する。」

「志とは、覚ろうとする意欲のもといである。これは、覚りたいという願いとは違う。苦悩から脱したいという望みでもない。志は、過去のことはさておき、自らの行き先をどうしたいかということについての決心に結びつく。」

「生まれて、生きて、死ぬ。それだけの人生ならば、獣の生き様と変わりはない。志のある人は、人生のあり得べき究極のことがらをついに為し遂げる。彼は、人を超えた境地に至り、死して後、もうこの苦悩の世には戻ってはこない。」

以上です。


~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎このブログ記事が参考になったと思われた方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。ランキングが上昇すると閲覧者が増えると思われるからです。御支援をお願い致します。


" かれこそ「志」のある人" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント