仏典の記述

ワン爺の独り言(2018年2月10日)
「人は、経典を転じるべきであって経典に転じられてはならない。」が今回の感興句の主眼だと思います。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana030.htm



(以下引用)

【仏典の記述】

もろもろの仏典の内容は、至る所が重要であり、同時にどの箇所も重要であるとは言えない。なんとなれば、人は、仏典の記述を見て覚りの境地に至る機縁を生じ得るが、それは仏典に記された言葉そのものによるものではないからである。それゆえに、人が仏典の記述そのものにこだわるならば、それはただちに悪魔の説と化す。その一方で、人が仏典の記述をよく理解して、しかも理解したことにこだわることがないならば、かれにとって仏典はこの世における最上の宝のありかを示してくれる稀有なる地図となるであろう。

他の人の解釈は、参考にはならない。しかしながら、他の人の解釈を読んで、それによって仏典の真意を理解することはあり得る。したがって、仏典を読誦して覚りの境地に至ることを目指す人は、仏典について記された諸説をも平らかに読み究めるべきであると言えよう。

人は、経典を転じるべきであって経典に転じられてはならない。それは、このように仏典に取り組むことによって達成されるであろう。賢者は、仏典の記述によってまごうことなき覚りに至れかし。

(以上引用)



*ワン爺のコメント
「他の人の解釈は、参考にはならない。」という言葉は、ブッダの言葉の解釈をコメントという形で書いている私にはドッキとするものではありますが、そのあとに「しかしながら、他の人の解釈を読んで、それによって仏典の真意を理解することはあり得る。」とありますので少し安心します。
皆さんは「経典を転じるべきであって経典に転じられてはならない。」というように経典を読み究めてください。


"仏典の記述" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント