法界の存在

ワン爺の独り言(2018年5月9日)
「一大事において法界から法(ダルマ)が出現するということは、法界はこの世の徳行をつぶさに見ているということである。」とSRKWブッダは説かれます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana119.htm



(以下引用)

【法界の存在】



一大事において法界から法(ダルマ)が出現するということは、法界はこの世の徳行をつぶさに見ているということである。そして、法界はこの世の悪行も決して見逃さない。それで、善き人は善き処に生まれ、悪しき者は死してのち地獄に堕ちる。



ところで、もし解脱という明らかな現象が無いならば、法界はこの世の徳行をつぶさに見ているとか、法界はこの世の悪行も決して見逃さないなどとは言えないであろう。しかしながら、解脱がはっきりとした現象である以上、法界の存在とその働きを信じざるを得ないのである。如来は、荒唐無稽のことは説かない。如来は、知り得たことを知り得たままに説くからである。

(以上引用)



*ワン爺のコメント
法界について知るは楽しいことです。法界は素晴らしいところだとわかります。それで是非にそこに行きたいと思います。そのためには仏にならなければなりません。そのためには修行を完成しなければなりません。まず法界はどのようなところかをSRKWブッダの言葉から調べてみましょう。

(以下引用)
諸仏は法界にいてこの世にはいない。 それゆえにこの世の言葉を流暢に話すことができない。 そこでこの世の人の口を借りてただその一言を発する(発しさせる)のである。

一人で覚るよりも二人で覚ることの方が楽しい。 互いに親しい人ならば、その楽しさはさらに倍増するであろう。 覚った人は、現世の苦悩を滅し、来世の苦悩を消し去っている。 共に法界に転生したならば、永劫の楽しみが待っている。 真に仏縁ある人は、まさしくそのように覚れ。

この世で出会ったどんな人とも別れなければならない。 しかしながら、共に解脱して苦しみの輪廻を断ち切った場合に限り、同じ場所へ赴くことができるであろう。 その場所を法界と呼ぶ。 そこには何もないが、本当に必要なすべてが完備している。

人は、皆、この名称と形態(nama-rupa)を心に内包して生まれてくる。しかしながら、解脱によってこの名称と形態(nama-rupa)を滅ぼしたならば、死して後、二度とこの世には戻ってはこない。覚った人は、法界の住人となるからである。

この世に時として化身たる善知識が出現することが、法界とその住人の存在を示している。覚った人は、法(ダルマ)がそのままこの世には存在していないと知っているからである。一大事因縁によってのみ、法(ダルマ)はこの世に出現する。これは動かすことのできない真実である。

自分ではない、他の人が書いた本や文章を読んだならば、それを書いた人が目の前にいなくても彼(著作者)が存在していることを知るだろう。同様に、世に稀有なる法の句が出現し、それがこの世のものではないことを覚知するゆえに、法界の存在が分かるのである。

もちろん、著作者はすでに亡くなった人かも知れない。それでも、それを書いたときには確かにこの世に存在していたのであると分かる。法界の住人もそのようである。この世の人々に分かる形で法の句が出現する以上、法界の住人もかつてはこの世に存在していたのだと分かるのである。

どんな素晴らしい小説も、書籍も、論文も、その他あらゆるものが、永遠に存続するというわけにはいかない。忘れ去られたり、無くなったりするからである。その一方で、法(ダルマ)は永遠に存続して世に出現し続ける。人が世にある限り、法界と現世の繋がりは永遠であると信じられるからである。

これが、法界の諸仏の為すところのものである。

本は、書店や図書館に置いてあるだけである。自分から「この本を読んで...」などと叫んだりしない。ただ、それを読もうと思う人があるゆえに、その本は手に取られて読まれ、著作者の思いが読者に伝わる。法界の諸仏も、衆生に法の句を聞かせようとはしない。ただ、こころある人が聞くのである。

人と世の真実を見極めた人が、ついに智慧を得て仏となり、一切種智を体得する。それがそのようになることが法界の諸仏の願いであり、諸仏の誓願と名づく。生き身の仏たる如来も、この誓願も持つ。そこで如来は理法を広く説くのである。

人と世の真実を見極めた人が、ついに智慧を得て仏となり、一切種智を体得する。それがそのようになることが法界の諸仏の願いであり、諸仏の誓願と名づく。生き身の仏たる如来も、この誓願も持つ。そこで如来は理法を広く説くのである。

私自身、法界のどの仏が法の句を発してくれたのかは知る術がない。ただし、その仏は法華経の作者か、少なくとも法華経の縁者であることは間違いない。と言うのは、私は法華経の正法によって慧解脱を果たしたからである。
(以上引用)

その他多数、法界についての言葉がSRKWブッダのtwilogにありますから、是非ご自分で調べてください。
https://twilog.org/srkw_buddha/search?word=法界&ao=a&order=allasc



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