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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【観(=止観)】(5)

(以下引用) 【観(=止観)】(5)  では、なぜ止の理解は容易ではないのだろうか。それは、あり得べき観が本質的に心を揺り動かす要素を含んでいることに由来している。そのような中において、心を木石のように閉ざすのではなく、心を制し導き、その根本の動揺を静止させなければならない。その為し難きことを為し遂げたとき、止が完成する。こ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【観(=止観)】(4)

(以下引用) 【観(=止観)】(4)  続いて、観の完成時に何が起こるのかについて述べたい。  ● 観の完成時——実際にはその刹那の直前——に起こることは、止(シャマタ)である。この止を完全に理解したとき、観が完成する。すなわち、観の本質は実は「止」を理解する道程なのである。そして、何を観じても止が理解できるわけではな…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【観(=止観)】(3)

(以下引用) 【観(=止観)】(3)  さて、次に観のあり得べき進行について述べたい。要するに、正しい観はどのようにして為されるのであるかということの説明である。  ● 観は、最初から最後まで基本的に修行者が好きに行ってよいものである。つまり、何をどのように観じてもよいのである。それが自然と正しい観に収束することになる…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【観(=止観)】(2)

(以下引用) 【観(=止観)】(2)  以下に、観の実際について述べたい。  観は、修行者にとって一種魅力的な修行方法である。なぜならば、観は基本的には時と場所を選ばず、誰の手も借りずに自分だけで行うことができるものだからである。しかしながら、修行者が観を正しく実践することは決して容易ではない。修行者は、最初は何をどう…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【修行方法の例示】(6)

(以下引用) 【修行方法の例示】(6)  ● 観を為し、止観を完成させることは誰にとっても修行となり得る。 観を完成させたならば、心解脱者となる。 このような人は、人間関係で苦悩することはなくなる。 (以上引用) *法津如来のコメント 「観」については、SRKWブッダ著「仏道の真実++」に「…
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賢者の道

ワン爺の独り言(2018年5月14日) 「愚者が覚ることはあり得ない。仏道は、賢者の道だからである。」とSRKWブッダは説かれます。 http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana124.htm (以下引用) 【賢者の道】 

愚者が覚ることはあり…
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世間の衆生

ワン爺の独り言(2018年5月12日) 「実際には世間の衆生を見て覚る人はいない。そこで、観において衆生を完成させなければならないことになる。」とSRKWブッダは説かれます。 http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana122.htm (以下引用) 【世間の衆生】
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仏道修行において、「公案」に取り組むことの意味

ワン爺の独り言(2017.3.10.) 仏道修行において、「公案」に取り組むことの意味について学んでみましょう。いままで「公案」についての理法を引用しませんでしたが、SRKWブッダの理法を学ぶためには、「公案」について知っておいた方がよいと思います。 http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou…
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「SRKWブッダのいう「観」について」の私のコメント

ワン爺さんの独り言(2017.1.10.) 今日は昨日掲載した「SRKWブッダのいう観について」の私のコメントを書いてみようと思います。しかし、私はまだ観を完成したわけではありませんので、正解というわけではありません。ですから、軽い気持ちでお読みください。 「【観】 観は、言ってみれば思索を超えた思索であり、人をして覚りの境地…
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SRKWブッダのいう「観」について

ワン爺さんの独り言(2017.1.9.) 今回はSRKWブッダのいう「観」について、学んでみようと思います。しかし、これは彼が述べる教えのなかで一番難しいものの一つだと私は思いました。それはテーラワーダ仏教のヴィパッサナーをイメージして学んだからだと思います。ですから、観はヴィパッサナー瞑想とは別物と考えて学んだ方がよいでしょう。 …
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