テーマ:賢者

#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第25章 友 22偈

22 もしも愚者が「われは愚である」と知れば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかも自分では賢者だと思う者こそ、「愚者」と言われる。 (ダンマパダ63 もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、「愚者」だと言われる。) (中村元訳「ブッダの真理のこと…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

信仰のある人

ワン爺の独り言(2018年5月19日) 「ことの真相を、実体験としては知らぬ身でありながら、見事に説かれた理法の言葉を聞いて、推して、理解し、正しい見解にたどり着く人を、賢者と呼ばずに誰を賢者と言うべきであろうか。」とSRKWブッダは説かれます。 http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana12…
トラックバック:0
コメント:1

続きを読むread more

賢愚

ワン爺の独り言(2018年5月11日) 「愚者は、自分の愚かさに気がつかない。また、愚者は賢者を賢者であると認知することができず、以て自分の愚かさを矯めることができない。」とSRKWブッダは説かれます。 http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana121.htm (以下引用) …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

聡明

ワン爺の独り言(2018年3月28日) 「賢い象は、沼地を恐れて近づかない。彼は弱いからそうするのではない。」「賢者は、悪を恐れて近づかない。彼は弱いからそうするのではない。」とSRKWブッダは説かれます。 http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana077.htm (以下引用) …
トラックバック:0
コメント:1

続きを読むread more

目を凝らして

ワン爺の独り言(2018年2月3日) 他人の行為も自分の行為も目を凝らさなければ、その真実はわからないのでしょう。人々はほとんどいい加減に思い込みで見て、思い込みで判断しているのでしょう。SRKWブッダの感興句「目を凝らして」を読んで見ましょう。 http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana02…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

根底のこだわりを離れた人は「賢者」である。

ワン爺の独り言(2017.6.13.) 同じでないものを同じであると見なす者は、賢明さを欠き、真理から遠く隔たっている。このようにSRKWブッダは述べておられます。 http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou137.htm (以下引用) 【賢者】 同じでないものを同じであ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ラーフラよ 賢者を軽く 見てないか 賢明な師を 尊んでいるか<再335>及び<再336>

○ワン爺さんの独り言<335> ・・・ 智慧ある人はやさしいので、 友達のような気になるが、 それでは大切なことは学べない。 第2 小さな章 11.ラーフラ経 1.2. ○中村元先生訳 335 [師(ブッダ)がいった]、 ラーフラよ。しばしばともに住むのに慣れて、 お前は賢者を軽蔑するのではないか?  …
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

嘆くこと 身体損なう 少しでも 役立つならば 嘆くべきです<583>

○少年少女のためのスッタニパータ<583> ・・・ 子は鳴き叫んで、 よく母に勝ちますが、 賢い母は負けません。 人生の問題は泣き叫んで 解決できないからです。 第3 大きな章 8.矢経(葥経:せんきょう)10. ○日本テーラワーダ仏教協会「日常読誦経典」訳 583. 泣き叫ぶことで得る …
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

この真理 賢者は知って 生命の 老死について 嘆くことなし<581>

○少年少女のためのスッタニパータ<581> ・・・ 君が泣いても おじいさんは生き返りません。 賢い子供は 意味のないことはしません。 第3 大きな章 8.矢経(葥経:せんきょう)8. ○日本テーラワーダ仏教協会「日常読誦経典」訳 581. 老いと死が常に この世を攻撃する。 世のこの理を…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

内外の 善なるものを 考察し 越え行く人は 賢者と呼ばれる<526>

○少年少女のためのスッタニパータ<526> ・・・ 仏教では 悪業は黒業と言い、 善業は白業と言います。 第3 大きな章 6.サビヤ経 17. ○中村元先生訳 526 内面的にも外面的にも二つながらの白く浄らかなものを弁別して、 清らかな知慧あり、 黒と白(善悪業)を超越した人は まさにその故に(賢者…
トラックバック:0
コメント:1

続きを読むread more

貪欲に 染まった人は 渇愛に からめられるが 賢者は捨てる(347)

○子供のためのダンマパダ。 ・・・ 大切なものが悩みや心配の原因です。 クモは自分の巣が大切です。 クモが自分の巣を断ち切るように、 かしこい人は悩みや心配をなくすため、 大切なものを捨てるのです。 ○パーリ語原文と訳語 イェー   ラーガラッターヌパタンティ  ソータン Ye      rāga…
トラックバック:0
コメント:4

続きを読むread more

七覚支 心を育てる 修行法 執着捨てて 阿羅漢になる(89)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 イェーサン  サンボーディヤンゲース Yesaṃ     sambodhiyaṅgesu, それらの   悟りの部分において サンマー  チッタン  スバーウィタン sammā   cittaṃ …
トラックバック:0
コメント:5

続きを読むread more

賢者なら 黒い行為を 捨て去って 白い行為を 実践すべし(87)人里を 離れた所で 瞑想し 欲望捨て

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 カンハン  ダンマン    ウィッパハーヤ Kaṇhaṃ   dhammaṃ   vippahāya, 黒い     法を      捨てて スッカン  バーウェータ  パンディトー sukka&…
トラックバック:0
コメント:8

続きを読むread more

釈尊の 説かれた真理 守るなら 乗り越え渡たる 煩悩の河(86)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 イェー  チャ   コー   サンマダッカーテー Ye     ca    kho    sammadakkhāte, この   しかし  実に   正しく説かれた ダンメー    ダンマーヌワッティノー dh…
トラックバック:0
コメント:5

続きを読むread more

煩悩の 大河を渡る 人わずか 多くはこちらで 悩み苦しむ(85)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 アッパカー  テー   マヌッセース Appakā    te     manussesu, 少ない    彼らは  人々において イェー ジャナー  パーラガーミノー ye    janā    pārag&#…
トラックバック:0
コメント:5

続きを読むread more

仏教徒 法に反して 望まない 子供と財産 権力などを(84)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ナ   アッタヘートゥ  ナ   パラッサ   ヘートゥ Na   attahetu       na   parassa    hetu, なく  自分のためで  なく  他人の   ためで ナ  プッタミッチェー ナ   ダナン  ナ  …
トラックバック:0
コメント:5

続きを読むread more

善人は 楽しみ求め しゃべらない 賢い人は 動揺しない(83)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 サッバッタ  ウェー    サップリサー  チャジャンティ Sabbattha   ve      sappurisā     cajanti, 一切処に   実に    善人は      捨てる ナ   カーマカーマー   ラパヤン…
トラックバック:0
コメント:6

続きを読むread more

深ければ 湖清く 濁りない 仏法聞けば 心清らか(82)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ヤターピ  ラハドー   ガンビーロー Yathāpi   rahado     gambhīro, ように    湖が      深い ウィッパサンノー  アナーウィロー vippasanno      an&#25…
トラックバック:0
コメント:11

続きを読むread more

岩山は 風が吹いても 動かない 非難賞賛 何するものぞ(81)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 セーロー  ヤター   エーカガノー Selo     yathā   ekaghano, 岩の    ように   一つの堅い ワーテーナ  ナ   サミーラティ vātena     na   samīrati…
トラックバック:0
コメント:6

続きを読むread more

職人は 材料ととのえ 賢者は 心ととのえ 涅槃に至る(80)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ウダカンヒ  ナヤンティ  ネッティカー Udakañhi    nayanti    nettikā, 水を 実に   導く      治水者は ウサカーラー   ナマヤンティ  テージャナン usukā…
トラックバック:0
コメント:7

続きを読むread more

真理飲み 楽しむ人は 安楽だ 賢い人は 真理を楽しむ(79)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ダンマピーティ    スカン    セーティ Dhammapīti     sukhaṃ    seti, 真理を飲む者は    安楽に    住む ウィッパサンネーナ  チェータサー vippa…
トラックバック:0
コメント:7

続きを読むread more

悪い人 悪い友とは 付合うな 善い友達と 付合うように(78)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ナ  バジェー  パーパケー  ミッテー Na  bhaje     pāpake     mitte, な  親交する  悪い      友と ナ   バジェー   プリサーダメー na   bhaje     pur…
トラックバック:0
コメント:4

続きを読むread more

忠告し 教えさとせば どうなるか 善人喜び 悪人嫌う(77)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 オーワデッヤーヌサーセッヤ Ovadeyyānusāseyya, 訓戒すべし教戒すべし アサッバー   チャ     ニワーライェー asabbhā      ca      nivāraye; …
トラックバック:0
コメント:6

続きを読むread more

誤りを 指摘する人 宝物 近づくならば 善いことばかり(76)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ニディーナンワ  パワッターラン Nidhīnaṃva     pavattāraṃ, 宝を ように    教える人 ヤン    パッセー    ワッジャダッスィナン yaṃ     p…
トラックバック:0
コメント:6

続きを読むread more

賢者から 直ちに学ぶ 識者たち スープの味を 味わう舌だ(65)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ムフッタマピ   チェー  ウィンニュー Muhuttamapi   ce     viññū, 一瞬でも     たとえ   識者が パンディタン    パイルパーサティ paṇḍit…
トラックバック:0
コメント:9

続きを読むread more

賢者から 何も学べぬ 愚か者 スープの味が 分からぬサジだ(64)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ヤーワジーワンピ  チェー   バーロー Yāvajīvampi      ce      bālo, 命ある限り      たとえ   愚者は パンディタン  パイルパーサティ paṇ&#7…
トラックバック:0
コメント:7

続きを読むread more

愚か者 自分を愚かと 知るならば 彼は悟ったと 言うべきだろう(63)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ヨー     バーロー   マンニャティ  バールヤン Yo       bālo      maññati      bālyaṃ, その人は  愚者が     考える      愚ろかと…
トラックバック:0
コメント:5

続きを読むread more

89.七覚支に従って正しく心を善く育て

ダンマパダ 第6 賢者の章 89 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 菩提の部分それぞれに 心が正しく修習され 捉われ執することがなく 無執着を楽しむ者らは 煩悩が尽き、光輝あり 世界において寂静となる (片山一良先生 訳) 〇超訳の試み 七覚支に従って 正しく…
トラックバック:0
コメント:7

続きを読むread more

87.88.賢者は黒い法を捨て、白い法を修するがよい

ダンマパダ 第6 賢者 87.88. 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 賢者は黒い法を捨て 白い法を修するがよい 家から非家にやって来て 楽しみがたい遠離のうちに 諸欲を捨てて一物もなく その喜びを求めるがよい 賢者は心の汚れを離れて 自己を浄めてゆくがよい (片山…
トラックバック:0
コメント:8

続きを読むread more

85.86.彼岸にいたる人々は人間のうちにわずかなり

ダンマパダ 第6章 賢者の章 85、86 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 彼岸にいたる人々は 人間のうちにわずかなり またその他の人々は 此の岸のみを行き来する 正しい説かれた法に従い 法を実践する人々は 彼岸に到達するであろう 死の領域は超えがたい (片山一良先生 …
トラックバック:0
コメント:8

続きを読むread more