テーマ:修行方法の例示

SRKWブッダ著「仏道の真実++」【修行方法の例示】(8)

(以下引用) 【修行方法の例示】(8)  ● 経典を読誦することは、修行となり得る。 修行しているという実感は伴わないかも知れないが、経典を記した仏に親近することを得て、因縁があれば身解脱を生じる場合がある。 (以上引用) *法津如来のコメント 「経典を読誦」についても、SRKWブッダ著「仏道の真…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

SRKWブッダ著「仏道の真実++」【修行方法の例示】(7)

(以下引用) 【修行方法の例示】(7)  ● 公案に取り組み、最後の一関たる(久松真一氏の)基本的公案を通過したならば、心解脱を完成したと認められる。 このとき、自分が心解脱したという実感を生じる筈である。 ただし、これは解脱知見ほどはっきりしたものではないことに注意しなければならない。 (以上引用) …
トラックバック:0
コメント:15

続きを読むread more

SRKWブッダ著「仏道の真実++」【修行方法の例示】(6)

(以下引用) 【修行方法の例示】(6)  ● 観を為し、止観を完成させることは誰にとっても修行となり得る。 観を完成させたならば、心解脱者となる。 このような人は、人間関係で苦悩することはなくなる。 (以上引用) *法津如来のコメント 「観」については、SRKWブッダ著「仏道の真実++」に「…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

SRKWブッダ著「仏道の真実++」【修行方法の例示】(5)

(以下引用) 【修行方法の例示】(5)  ● 心について探究することは修行となり得る。 これは、心の働きを理解することがその一つである。 また、「心によって心を滅し、ついに解脱が起こるという真理」を理解することもまた修行の糧となる。 〈道の人〉は、心を働かせることがない。 しかしながら、それは木石のよ…
トラックバック:0
コメント:4

続きを読むread more

SRKWブッダ著「仏道の真実++」【修行方法の例示】(4)

(以下引用) 【修行方法の例示】(4)  ● 省察することは、修行となり得る。 他ならぬ自分自身の行為について省察するならば、確かな覚りの機縁へと結びついて行くものともなるからである。 ここで、省察は過去の自分の行為について行う。 ことの起こりと、顛末と、それぞれの帰趨を思い出さなければならない。 そ…
トラックバック:0
コメント:8

続きを読むread more

SRKWブッダ著「仏道の真実++」【修行方法の例示】(3)

(以下引用) 【修行方法の例示】(3)  ● 聖なる沈黙は、時に修行となる。 これは、慈悲喜捨の「捨」に通じるものである。 捨を完全に自分のものとしたならば、それは一つの解脱であると言っても過言ではない。 聖なる沈黙は、相手の本当のところを知ろうとして為されるものである。 同時に、自分の本当のところを…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

SRKWブッダ著「仏道の真実++」【修行方法の例示】(2)

(以下引用) 【修行方法の例示】(2)  ● 善き談論は、修行となる。 修行者は善き談論を為すことによって次第に仏教の根本についての理解を深め、ついに因縁を生じて解脱すると期待され得るからである。 もちろん、談論は井戸端会議のような埒のあかないものであってはならない。 具体的には、小欲論、知足論、遠離論、不…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

SRKWブッダ著「仏道の真実++」【修行方法の例示】(1)

(以下引用) 【修行方法の例示】(1)  繰り返しになるが、仏道修行においては実のところ固定的な修行法など何一つ存在していない。しかしながら、構成概念としての修行法ならば提示することができる。それについて述べたい。ただし、以下に提示することはそれぞれ修行の一例に過ぎない。これらを履修することが修行になるわけではないことには、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more