テーマ:仏道の真実

SRKWブッダ著「仏道の真実++」【魔境】(1)

(以下引用) 【魔境】(1) 魔境というのは、要するに自分自身を見失うということである。 修行者は、心をしっかりと護って、魔境に陥らないようにしなければならない。 また、すでに魔境に陥っていると思しき人も、魔境の何たるかを知ることで抜け出すことができるであろう。 以下に、具体的な魔境を列記したい。 …
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【覚りの予兆】(5)

(以下引用) 【覚りの予兆】(5)  ○ 夢の予兆がある。 覚る前には予兆的な夢を見るからである。 具体的に言えば、大仏や巨大な仏教遺跡、高い鳥居などである。 また、肉親の死に際してもこれが働くことがある。 母の死に際して私が見た夢や、父の死に際して父自身が見て話してくれた夢がそうである。 なお…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【覚りの予兆】(4)

【覚りの予兆】(4)  ○ 暗合の予兆がある。 文字や数字、記号などが自分の覚りの道をまるで暗示しているかのようであるという予兆である。 私の場合には、「8448」がそうであった。 この番号は自家用車のナンバープレートの番号として採用したものであるが、元はLEGOテクニックシリーズのスポーツカーの商品番号「LT8…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【覚りの予兆】(3)

(以下引用) 【覚りの予兆】(3)  ○ 仏縁の予兆がある。特定の経典を探していたのが偶然に見つかるとか、特定の経典が意外な形で手元にやって来るとか、特定の経典をどうしても読誦したくなるとかいうことである。 また、未だその縁のある経典の内容を知らないのにどうしてもその経典を手に入れて読みたいなどと思う場合もある。 …
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【覚りの予兆】(2)

(以下引用) 【覚りの予兆】(2)  ○ 別の大きな予兆は、観の完成間近における予兆である。 未だ観が完成していないにも関わらず、もうすぐ観が完成するであろうという予兆が起こる。 それは余りにも強いので、「もうすぐ覚る気がする」などと家族に向かって口を開くほどである。 ただし、観を用いた修行に縁のない修行者はこ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【覚りの予兆】(1)

(以下引用) 【覚りの予兆】(1) 覚りに向けた道の歩みの途中には、何一つ実りは存在せず、最後にいきなり甘露の実を生じるのである。このため、修行中における覚りの予兆など本来存在しない筈である。しかしながら、実際には、覚りの予兆を生じることがある。それについて述べたい。  ○ 最も決定的な覚りの予兆は、もうすぐ覚るだろう…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【神通】

(以下引用) 【神通】 神通は、仏の為すわざではない。しかしながら、まるで仏のために何者かが仏の人生の節目を彩り、生きる糧を保証し、仏の口から法(ダルマ)が世に伝わることを補助するかのような働きを見せる。その按排が見事なので、世間の人々はとても不思議なものであると感じるかも知れない。 さて、神通は観念的なものではなく物…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(6)

(以下引用)  ◇ 輪廻説の是非正否に修行者が翻弄されない 輪廻説が正しかろうが間違っていようが、それを認めていようが否定していようが、気にしていようがいまいが、立派な修行者は最終的にはニルヴァーナに到達する。これは一つの不可思議である。 誤解を生じないように説明を加えておくが、輪廻説を肯定している人が覚れないと主張す…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(5)

(以下引用)  ◇ 解脱そのものは不可思議ではない 抗生物質を服用すると、口から(消化器官から)遠く離れた例えば手や足などの患部の細菌感染を予防することができる。抗生物質は、身体の健康な部位には悪影響を及ぼすことなく、選択的に患部の炎症を防止するのである。それと似て、解脱によって消滅するこの名称と形態(nama-rupa)は…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(4)

(以下引用)  ◇ 解脱のプロセスはこの世で最大の不可思議 心が、他でもないその同じ心を滅し解脱を果たすという解脱のプロセス——敢えてここではプロセスという言葉を用いるが——は、この世における最大の不可思議である。 まるで心が自殺を望み、しかしそのままで終わることなくその後必ずよりよい形で再生することを知っているかの如…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(3)

(以下引用)  ◇ 不可思議なる発心 人が仏道を歩んだとき実際に覚りに達するかどうかは、この道の重要な分水嶺となる発心にかかっている。そして、発心は覚りの道におけるとくに大きな不可思議である。 疑いなく、発心は第一の善知識との出会いによってもたらされるものである。それゆえに、今世での覚りを望む修行者は、善知識との出会い…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(2)

(以下引用)  ◇ 発心以前に起こる不可思議 有り体に言えば、発心以前の修行者は本当の意味での修行者とは言えないものである。何となれば、発心していない修行者は法の句を聞いても解脱しないからである。 ところが、発心以前の修行者であっても、まるですでに発心した立派な修行者であるかのように不可思議に遭遇することがある。その具…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(1)

(以下引用) この世の最大の不可思議は、衆生の心がその己の心を滅することを欲し、実際にそれをこの名称と形態(nama-rupa)の終滅という形で実現し、しかしそれによって作仏してニルヴァーナに至るという事実である。ただし、不可思議はそれだけではない。 さて、この世にはいろいろな不思議があると人々に周知されていることがあろう。…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【解脱知見】(4)

(以下引用) 【解脱知見】(4) 次に、解脱知見を生じる瞬間について説明したい。これは、解脱したその瞬間に、直ちに解脱知見を生じるとは限らないという事実が認められるからである。 実際、私(=SRKWブッダ)の場合、解脱自体は真夜中に生じたが、解脱知見を得たのは翌朝目覚めてからである。解脱した瞬間に、確かに大歓喜は生じた…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【解脱知見】(3)

(以下引用) 【解脱知見】(3) また、自分が覚る前とは明らかに違う存在になったことを自覚する。具体的には、次のような覚知を生じる。  ●  この名称と形態(nama-rupa)が滅したことを如実に知る。具体的には、識別作用の滅を明らかに知る。  ●  自分が、この世で為すべきことを為し終えたことを覚知する。  ●…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【解脱知見】(2)

(以下引用) 【解脱知見】(2) では、解脱知見の真実とはいかなるものなのであろうか。それを説明したい。 智慧の輪に取り組んで解いたことがある人は知っているであろうが、智慧の輪には何一つヒントは与えられていない。また、正解手順が開示されることもない。それでも、正しく智慧の輪を解いた人は、自分が間違いなくその智慧の輪を解…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【解脱知見】(1)

(以下引用) 【解脱知見】(1) 「解脱したときには、解脱したという正しい知見を生じる」 と、説かれる。これは本当のことである。 ただし、これは真に解脱を生じた人にとってそうであるということであって、自分の覚りを勘違いしている者には当て嵌まらない。そして、覚りを勘違いしている者は、解脱知見そのものを自分の都合が良…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【寂滅論】(2)

(以下引用) 【寂滅論】(2) この寂滅論で言いたいことは、覚らない限りこの世を真に生きたことにはならないということである。 また、衆生がどんなに偉大な功績を挙げたところで死後は名が残るに過ぎないということである。 それに対して、覚った人は死後もミームの形で世に長く存在することを得る。 すなわち、あるブッダ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【寂滅論】(1)

(以下引用) 【寂滅論】(1) 拙著『ブッダの世界観』において、古典的な輪廻説を取り下げ「寂滅論」を提起した。その内容は、次のようなものである。 人の人生は一度きり。前世も来世も無い。この結論は寂しい気もするがおそらく事実であろう。ならば、覚りなど目指さずに面白おかしく暮らした方が得だという極論も出るかも知れないが、覚…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【普遍妥当なる道】(2)

(以下引用) 【普遍妥当なる道】(2) ところで、真理はいかにして普遍妥当性を持つのであろうか。その根本の理由は何であろうか。知りたい人もいるであろう。 その根本の理由は、覚りがこの名称と形態(nama-rupa)の脱落・終滅に他ならないという事実にあると考えられる。要するに、これを為し遂げない限りニルヴァーナに到達す…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【普遍妥当なる道】(1)

(以下引用) 【普遍妥当なる道】(1) この世には、仏道以外の道を以てこれこそがニルヴァーナに至る道であると吹聴する者が散見される。しかし、そこには何の根拠も存在していない。彼らは、自分では未だニルヴァーナに達していないにも関わらず、誤った見解に基づいて外道を覚りの道であると主張しているのである。そして、それらが普遍妥当性を…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【気をつけること】(2)

(以下引用) 【気をつけること】(2) ところで、ある者は気をつけることそれ自体にとらわれてしまう。つまり、しっかりと気をつけてさえいれば覚ることができると頑なに思い込んでしまうのである。しかし、それでは仏道で言うところの気をつけていることにはならない。 なお、気をつけることは最初が肝心である。最初を誤ると、その後正し…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【気をつけること】(1)

(以下引用) 【気をつけること】(1) すでに覚った人にその秘訣を尋ねたならば、多くの場合次のような答えが返ってくるだろう。 「気をつけていたので覚ることができた」 すなわち、覚った人は、自分が正しい道を歩むことについても、覚りの機縁を生じることについても、功徳を積むことにおいても、智慧を見出すことにおいても、そ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【言葉】(3)

(以下引用) 【言葉】(3)  ところで、人には、その人らしい言葉遣いというものがあるであろう。 もちろん、時と場所、その時の気分や感情に応じて言葉遣いが変化するのは当然である。 それでも、その変化は一定の範囲内に収まることが通常であろう。 ところが、法の句が発せられるとき、その言葉はその人が口にした言葉と…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【言葉】(2)

(以下引用) 【言葉】(2)  なお、法の句の出自は、法界であると推定される。 法界は、古典的には諸仏の住み処とも称される界である。 この世に大事の局面が出現したとき、法界から法の句が現れる。 それが覚りの決定的な機縁となるわけである。  ただし、それぞれの法の句は特定の誰かに焦点を合わせて発…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【言葉】(1)

(以下引用) 【言葉】(1)  通常、言葉は人の意思の疎通に用いられるものである。また、知識の伝達、記録、思考、決意の表明などにも用いられる。そして、言葉にはそれらとは別の偉大な働きがある。それは、言葉が人の覚りの決定的な機縁となることである。  すなわち、人は世に希有なる法の句を耳にして、その真実の意味を理解したとき…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【瞑想】

(以下引用) 【瞑想】  往時において、修行者が瞑想を行う本来の目的は心を静かならしめることにあったと推定される。そして、ある人は瞑想の先にニルヴァーナが存在しているのだと考えたかも知れない。それは、現代においても同様であろう。  さて、実際に瞑想を行うと、意識のある種の変成を体験することになる。具体的には、いわゆるチ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(9)

(以下引用) 【経典の読誦】(9) ところが、経典が素晴らしいのはそれだけではないのである。 経典は、読誦してその雰囲気を味わうだけでも一つの修行として成立し得ることが分かっているからである。 このとき、経典の内容を理解する必要さえ無い。 経典の中の仏が衆生に向かって語る様子をイメージするだけでも良いのであ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(8)

(以下引用) 【経典の読誦】(8) ところで、経典は真のやさしさについて記したものであることを知っていたとしても、やはり難解なものであろう。 書いてあることは一通り理解できても、それがどうして素晴らしいのかがピンと来ないのもある意味では当然である。 例えば、親が子に対して発する躾の言葉が、子供にはすぐには理解でき…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(7)

(以下引用) 【経典の読誦】(7) 修行者は、最初のうちは経典を読んでもちんぷんかんぷんかも知れない。なぜならば、真のやさしさは世俗のそれとは趣が異なっているからである。ある人は、次のような感想を持つかも知れない。 「確かにやさしいが、それが究極のやさしさであるというのがピンと来ない」 この点については、次のよう…
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