テーマ:仏道の真実

SRKWブッダ著「仏道の真実++」【功徳のよすが】(2)

(以下引用) 【功徳のよすが】(2)  ● 予め功徳を積んでいることは、功徳のよすがである。「さあ功徳を積もう」などと言って何も無いところから一気に功徳を積むことはできない。たとえば、大きな結晶を綺麗に作るためには種になる小さな結晶を用意し、それを少しずつ成長させて形成していくであろう。それと同様である。では、最初の功徳はど…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【功徳のよすが】(1)

(以下引用) 【功徳のよすが】(1)  功徳は、どのようなときに積まれるのであろうか。そのよすがについて述べたい。  ● 功徳は、咄嗟のときに一瞬に積まれる。これは、功徳を積むという表現から連想されがちな段階の説を否定する事実である。なぜ功徳が一瞬に積まれるのかと言えば、仏道が基本的には頓悟の道だからである。要するに、…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(9)

(以下引用) 【功徳を積むには】(9)  ● 積んだ功徳は、決して損なわれることがない。もし、このことを信じることができないならば、その者はすでに道を踏み外しているのだと考えなければならない。これは、損得勘定では修行はままならないということである。覚りは、功徳の対価ではない。功徳のみ求めても、覚りに達することはできない。例え…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(8)

(以下引用) 【功徳を積むには】(8)  ● 修行者は、つつしむのが良い。つつしみこそが、功徳の最大の利得(Gain)だからである。これは物事の味わいに関することがらである。風味を知る人は、さらにつつしむであろう。つつしみあってこそ、微妙なる風味が活きてくるからである。智慧は、美味よりも風味に近い。この意味において、風味を知…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(7)

(以下引用) 【功徳を積むには】(7)  ● 修行者は、何もするな。しかしながら、何かをするときには、労を惜しんではならない。このそれぞれが転じる刹那に、功徳は積まれるのである。誰にとっても、具体的に行動を起こすことは大変なことである。些細なことがらでも行為を全うすることは難しい。その難しいことを為し遂げよ。この世には、簡単…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(6)

(以下引用) 【功徳を積むには】(6)  ● 修行者は、世俗的にも幸せであれ。幸せであればあるほど、生じる功徳が大きくなるからである。これは、征服した国を捨てた王のように振る舞えという意味である。また、これは慈悲喜捨の「捨」に関することがらである。ここで「捨」とは、余計なものを捨てて相手に幸福を与え、同時に自分はそれ以上の大…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(5)

(以下引用) 【功徳を積むには】(5)  ● 修行者は、楽しみと栄えを知る人であれ。道の歩みにおいては、それが功徳そのものになるからである。この意味において、楽しみは悪ではない。楽しめない人は、自分自身を見失っているのである。修行者は、楽しみの中に冷静に、真の自分自身を見出せ。 (以上引用) *法津如来のコメ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(4)

(以下引用) 【功徳を積むには】(4)  ● 修行者は、真実から目を逸らしてはならない。そこに、功徳を積む動機を生じるからである。ある種の真実は直視するに恐ろしいものである。それでも、立派な修行者はその真実を見つめるであろう。功徳を積んだ人は、そこに凜とした決心を生じるのである。その決心は、解脱の根拠となるものである。 …
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(3)

(以下引用) 【功徳を積むには】(3)  ● 修行者は、決して自分を捨て去ってはならない。自分自身こそが功徳の拠り所である。もし自分を捨て去ってしまうならば、覚りも何も意味をなさない。覚りは、自分を決して捨て去らないところに存在しているからである。もちろん、自分にこだわる余り、他の人を傷つけたり悲しませたりしては本末転倒であ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(2)

(以下引用) 【功徳を積むには】(2)  ● 修行者は、悲しみを熟知し、しかも悲しみを知らぬ人であれ。そうでなければ、解脱しないからである。これは、悲しみに打ちのめされてはならないという意味である。この世には悲しみが多いことを知ったとき、ある人はどうすればよいのか分からなくなり、立ちすくんでしまうだろう。しかし、それでは仏道…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(1)

(以下引用) 【功徳を積むには】(1)  ニルヴァーナを目指して修行する人にとって、どうすれば功徳を積むことができるのかということは重大な関心事であろう。その具体的なことを述べたい。  ● 修行者は、自分を含めて、誰も悲しませてはならない。悲しみあるところには、決して功徳は生じないからである。これは、逆に見れば人は知ら…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むこと(7)

(以下引用) 【功徳を積むこと】(7)  ● 功徳は、功徳を呼ぶ。この意味において、修行者は小さな功徳を軽んじるべきではない。実際には、功徳を積むことによって他の人を覚り(安らぎ)に近づけることになるであろう。そして、そのことによって自分の安らぎがいや増し、巡り巡ってさらなる功徳が積まれたことになるわけである。 (…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むこと(6)

(以下引用) 【功徳を積むこと】(6)  ● 功徳は、これで功徳が積まれるだろうなどと意識して積むものではない。しかしながら、仏道を歩む修行者は功徳を積むことそれ自体は意識すべきである。これは、功徳ということを知らずに無邪気に功徳が積まれるものではないという意味である。例えば、勉強は意識して行わなければ身につかない。つまり、…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むこと(5)

(以下引用) 【功徳を積むこと】(5)  ● 功徳は、想念の帰趨ではない。功徳を積もうとして何を想い、何を念じても、それによって功徳が積まれることはないということである。つまり、功徳はこころに積むものであるが、それは想念によるものではないという意味である。逆に言えば、想念によって功徳が損なわれることもないということでもある。…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むこと(4)

(以下引用) 【功徳を積むこと】(4)  ● 功徳は、行為の帰趨ではない。要するに、功徳は気持ちの問題であるということであり、功徳はこころに積むものであると知られるということである。このため、行為の多寡とは無関係に功徳は積まれる。ある場合には、何一つ行為せずに功徳が積まれる。つまり、やさしい行為が功徳になるわけではなく、やさ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むこと(3)

(以下引用) 【功徳を積むこと】(3)  ● 個人の性格傾向と功徳とは関係がない。すなわち、どんな性格の人でも等しく功徳を積むことができる。これは、そもそも解脱がこの名称と形態(nama-rupa)の脱落・終滅という根本の現象であるためである。性格傾向は、このうちの名称(nama)作用に関わることがらであり、どのような性格傾…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むこと(2)

(以下引用) 【功徳を積むこと】(2)  ● 功徳を積んでいるときにそのことが意識されることはないが、実際に覚ったときにそれまで充分に功徳を積んだことが覚知される。これは、解脱知見の一つである。たとえば、睡眠中にはしっかりと眠っているなどというような意識はないが、翌朝気持ちよく目覚めたときにぐっすりと眠ったことを知るようなも…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むこと(1)

(以下引用) 【功徳を積むこと】(1)  前の章で述べたとおり、功徳を積むことが仏道修行の主要部分である。  「自己の本性(ほんせい)に功徳があるのだ。見性が功であり、素直さが徳である。」(六祖壇経)引用:世界の名著〈18〉禅語録(1978年)(中公バックス)柳田聖山(訳) ISBNー13:9784124006285 …
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」修行(10)

(以下引用) 【修行】(10)  さて、もしも覚りに向けた修行が、たとえば幾何学を理解するようなことであるならばまだ分かり易いであろう。つまり、シンプルな幾何学の証明を沢山学んでおき、その上で高度な幾何学の問題に取り組む。ここで充分に学んでいればその問題が周到に解けるものと期待され得るというようなものである。実際、素養を身に…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」修行(9)

(以下引用) 【修行】(9)  ● 修行は、途中においても心を安んじるものでなければならない。これは、修行は怪しげなものであってはならないという意味である。 (以上引用) *法津如来のコメント 修行は始まりも善く、途中も善く、終わりも善くなければなりません。 ここでは途中について説かれています。 …
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」修行(8)

(以下引用) 【修行】(8)  ● 修行は、いつでも、どこでも、どんな時代でもできるものでなくてはならない。場所や環境を選ぶものは、最高のものとは言えないからである。 (以上引用) *法津如来のコメント この引用の意味では、修行は重力のようなものです。いつでも、どこでも、どんな時代でも働いています。場所…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」修行(7)

(以下引用) 【修行】(7)  ● 修行は、誰にでもできるものでなくてはならない。これは、身体に障害がある人でも修行できることを意味している。 (以上引用) *法津如来のコメント 「修行は、誰にでもできるものでなくてはならない。」・・・これは仏教は平等を説いているからです。 「これは、…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」修行(6)

(以下引用) 【修行】(6)  ● 修行は、終わりのあるものでなくてはならない。果てしない修行は誰も完成させることができないからである。 (以上引用) *法津如来のコメント 「人生一生修行である。或いは修行に終わりはない。」というような考え方があります。このように考える方の修行ならば、修行に終わりはない…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」修行(5)

(以下引用) 【修行】(5)  ● 修行は、時間の無駄や紆余曲折を気にせずに行うべきである。しかし、それが最短の道筋となる。 (以上引用) *法津如来のコメント 「時間の無駄」とは、良い結果に結びつかなかった時に言われますが、失敗は成功の母(元)なのです。失敗という無駄と思われることがあるからこそ、成功…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」修行(4)

(以下引用) 【修行】(4)  ● 修行は、楽しいものでなくてはならない。楽しくなければ最後まで続かないからである。 (以上引用) *法津如来のコメント 前回の「修行は、自発的に行わなくてはならない。」という理由は、そうでなければ楽しくならないということもあります。 また、「ニルヴァーナは最上の楽…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」修行(3)

(以下引用) 【修行】(3)  以下に、このあり得べき修行についてポイントとなることを列記したい。  ● 修行は、自発的に行わなくてはならない。そうでなければニルヴァーナに到達しないからである。 (以上引用) *法津如来のコメント 以下八項目で、このあり得べき修行についてポイントが述べられることに…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」修行(2)

(以下引用) 【修行】(2)  ところで、前の章で仏道は一なる道であると説明した。これを一なる修行法があるのだと誤解しないで欲しい。これは、覚りの基本的な道筋が唯一であるという意味だからである。とくに、道の歩みの最後の局面たる覚りの瞬間に起こることが皆同じであるので、このように表現されるわけである。具体的には、  ● …
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」修行(1)

(以下引用) 【修行】(1)  ずっと前の章で、  「仏道を歩み始めたばかりの人は、修行することが道の歩みそのものであろうと考えているかも知れない。もちろん、それはその通りなのであるが、知っておかなければならないことは、実のところ固定的な修行法など何一つ存在していないという事実である。 {中略} では、修行の実際とは何…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」具体的な覚りの機縁(広義)(11)

(以下引用) 【具体的な覚りの機縁(広義)】(11)  ● 経典を開いて読むことは、覚りの機縁となる。好きな経典でよい。全部読まなくてもよい。どの部分からでもよい。気になったところをくり返し読むのもよい。何となく読んでも構わない。何かにつけ経典に触れることは、覚りの機縁を喚起する大きな契機となるものである。 (以上引用…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」具体的な覚りの機縁(広義)(10)

(以下引用) 【具体的な覚りの機縁(広義)】(10)  ● 理法(=仏が説いた言葉)について語らうこと。これが最も基本的な覚りの機縁となるものである。なお、語らうときには静かに、楽しんで、和やかに行うべきである。経が世に誦出されるのには、因縁がある。仏は、意味もなく理法を口にしたりはしない。なぜ仏がその時にその理法を語ったの…
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