テーマ:仏道の真実

SRKWブッダ著「仏道の真実++」具体的な覚りの機縁(広義)(9)

(以下引用) 【具体的な覚りの機縁(広義)】(9)  ● 三宝(仏法僧)を敬うことは、覚りの機縁となる。より具体的には、例えば法華経方便品第二に記されているようなことがらを指す。詳細については、原典を参照されたい。 (以上引用) *法津如来のコメント 「三宝(仏法僧)を敬うことは、覚りの機縁となる。」こ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」具体的な覚りの機縁(広義)(8)

(以下引用) 【具体的な覚りの機縁(広義)】(8)  ● 真のしあわせとは何であるのかを追究することは、覚りの機縁となる。この答えは実は明確に存在しているが、本人が自分自身で追究することが覚りの機縁を喚起する契機となり得るということである。言うまでもなく、仏道に勤しむ目的は真のしあわせを獲得することにある。これは、その目標を…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」具体的な覚りの機縁(広義)(7)

(以下引用) 【具体的な覚りの機縁(広義)】(7)  ● 心について思惟・考研することは、覚りの機縁となる。具体的には、心理学やアビダルマなどの勉強がそれに当たる。これによって、何が人を煩わせているのかを理解する基礎を培うことができるからである。それが、ついには苦の真実を明らめることに繋がる。衆生は煩うが、覚った人は煩いが無…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」具体的な覚りの機縁(広義)(6)

(以下引用) 【具体的な覚りの機縁(広義)】(6)  ● 仏教の話を好み、楽しむことは、覚りの機縁となる。仏教について語らうことが、覚りの機縁そのものを喚起することさえある。基本的に、覚りの機縁を意識的に喚起することはできない。しかしながら、仏教について語らう中においてそれを結果的に生じることはしばしば見られることである…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」具体的な覚りの機縁(広義)(5)

(以下引用) 【具体的な覚りの機縁(広義)】(5)  ● 我執や愛執を離れた人がこの世に存在し得るということを認知することは、覚りの機縁となる。それが一時的に世に出現した化身であっても、そうである。これは、善知識の出現を見る機縁となることがらである。このとき、自分もまた我執や愛執を離れなければならない。それによって、善知識が…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」具体的な覚りの機縁(広義)(4)

(以下引用) 【具体的な覚りの機縁(広義)】(4)  ● 苦行に近づかないことは、覚りの機縁となる。苦行は無益である。苦行は、道を汚すものに過ぎない。解脱とは何であるのかが正しく理解されていないと、苦行によって浄らかになれるという誤った見解を抱くようになる。苦行によって覚ろうとするのは、怪我した部位をさらに傷つけて治そうと目…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」具体的な覚りの機縁(広義)(3)

(以下引用) 【具体的な覚りの機縁(広義)】(3)  ● 瞑想(メディテーション)を捨て去ることは、覚りの機縁となる。これに限らず神秘的な現象はすべてその対象となる。これらは一種興味深いものではあるが、覚りとは無関係である。したがって、どこまで掘り下げて体得しても時間の無駄である。これは食物に譬えれば、瞑想は酒のようなものに…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」具体的な覚りの機縁(広義)(2)

(以下引用) 【具体的な覚りの機縁(広義)】(2)  ● 仏とは何者であるかを思惟・考研することは、覚りの機縁となる。これは、自分が進む道の到達点に何があるかをイメージするのに役立つ。衆生にとって、智慧が何であるのかをいきなり考究することには本来的に無理がある。なぜならば、智慧(=仏智)は人智を超えたものだからである。この世…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」具体的な覚りの機縁(広義)(1)

(以下引用) 【具体的な覚りの機縁(広義)】(1)  覚りの機縁の具体的なことを列挙したい。読者の中には、似たようなことがあったと思い当たる人もあるかも知れない。  ● 第一の善知識との出会いは、仏道を歩むことについての決定的な一歩となる。真の仏道修行は、この時点から始まると言っても過言ではない。私(=SRKWブッダ)…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」覚りの機縁(広義)

(以下引用) 【覚りの機縁(広義)】  覚りの機縁とは、狭い意味では善知識の出現を目の当たりに見るということを意味しているが、ここで言いたいのは広い意味のことがらである。すなわち、仏道を歩むことに際して遭遇する種々の機縁を総称してのことである。  さて、機縁とは次のようなものを指す。  あることについて図らずも「…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」賢者の道(13)

(以下引用) 【賢者の道】(13)  ● 仏道とは、やさしさとは何かを追究する道に他ならない。それが世の真実を見極めることに繋がり、苦の真実を知ることにも繋がる。そして、ついに智慧を得ることになるのである。やさしさを追究するのに、何の遠慮が要るだろうか。何の恥ずかしいことがあるだろうか。全人類が、このことについて本当のことを…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」賢者の道(12)

(以下引用) 【賢者の道】(12)  ● 修行の紆余曲折を気にすべきではない。最初から最後まで一直線に、用意周到に道を歩む修行者などありはしない。仏道はまっすぐに歩めと説かれるが、実際には、その歩みは遍歴修行であり当然に紆余曲折が伴う。この紆余曲折には、たとえば経典に疑問を持ったり、生き身のブッダに疑義を呈したりすることも含…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」賢者の道(11)

(以下引用) 【賢者の道】(11)  ● 適宜に引き返すことをためらうべきではない。怪しいと思ったら引き返す勇気を持たなければならない。時期早尚だと思ったら、まず立ち止まり、しばらく様子を見るべきである。その上で、どうするか決めれば良いのである。 (以上引用) *法津如来のコメント 山で道に迷ったら、「…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」賢者の道(10)

(以下引用) 【賢者の道】(10)  ● 闇雲に突き進んではならない。たとえば、旅人は暗い夜道を好んで歩んだりしないであろう。知らない土地を安全に歩むためには、明るいうちに進むのが良いと考えるからである。仏道も同じである。修行者にとって、道は未知の領域にある。しかも、先達のアドバイスさえ存在しない。ただ、「気をつけて歩め」と…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」賢者の道(9)

(以下引用) 【賢者の道】(9)  ● 主張する口よりも、聞く耳を持って道を歩まなければならない。何となれば、聞く耳を持つことが気をつけることに繋がるからである。なお、目で見ることが聞くことになる場合もある。声なき声を能く聞く人は、すでにニルヴァーナの近くにあるからである。 (以上引用) *法津如来のコメント…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」賢者の道(8)

(以下引用) 【賢者の道】(8)  ● 目の前の人を、道の障害物であるなどと考えてはならない。むしろ、目の前の人がいなかったならば自分の覚りは無いのだと考えなければならない。要するに、目の前の人を予め軽んじてはならないということである。しかし、もちろん、目の前の人がすべて重要な人物であると見做すのは間違いである。大事なことは…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」賢者の道(7)

(以下引用) 【賢者の道】(7)  ● 仏道は、独り歩む道であり徒党を組んで歩むことはできない。具体的に言えば、自分の意見に別の修行者を従わせたり、あるいは自分が他の修行者に安直に従ったりするべきではないということである。道の歩みは、互いに対等・平等でなければならない。仏道は、自分のタイミングで歩み始め、自分のペースを保って…
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石法如来の特別寄稿「宗教について・・・オウム信者は、なぜ間違えたのか?」

まず最初に述べておかなければいけないことがあります。それは、仏教は、宗教とは関係が無いということです。仏教とは、「仏の教え」であり、「仏になる教え」だからです。 私も、その肝心なことが分からず約7年の歳月を新興宗教団体で過ごしました。それでも私の場合は、大きな事件に巻き込まれることも無く、釈迦直説に最も近いという『阿含経』の存在を…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」賢者の道(6)

(以下引用) 【賢者の道】(6)  ● 為し難きことを為すことが、功徳を積むことに繋がる。これは、できもしないことをやれという意味ではない。ここで、為し難きこととは徳行を意味しているからである。具体的には、堪え忍ぶこと、誠実であること、慳みしないこと、および自制することをいう。人々(衆生)は、徳行を為したがらない。むしろ、徳…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」賢者の道(5)

(以下引用) 【賢者の道】(5)  ● 修行生活が、神秘体験に埋没してはならない。仏教は神秘体験そのものを否定するものではないが、それはニルヴァーナとは無関係であることが分かっているということである。確かに、ニルヴァーナは無上の楽しみであると知られる境地である。しかしながら、ニルヴァーナは別に神秘的なものではない。人のあり得…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」賢者の道(4)

(以下引用) 【賢者の道】(4)  ● 仏道は、ゆっくりと邁進すべき道である。慌てなくても、それぞれの機縁をピッタリの時期に生じ、適時に解脱が起こることになるのである。拙速であると、却って遠回りすることになってしまう。 (以上引用) *法津如来のコメント 実は、以下の考えはミヒャエル・エンデの児童文学「…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」賢者の道(3)

(以下引用) 【賢者の道】(3)  ● 荒々しいことを避けて静かに進むことが道の歩みとなる。何となれば、ニルヴァーナは究極の静けさの境地であり、そこに至る道も静かに進み行く道となるからである。 (以上引用) *法津如来のコメント 「賢者の道」の3回目になります。 「荒々しいことを避けて静かに進…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」賢者の道(2)

(以下引用) 【賢者の道】(2)  ● 危険を避けて進むというのが正しい道となる。世人は、危険な領域に踏み込まないと目覚ましい成果は得られないように思い込んでいるきらいがあるが、仏道はそのような道ではないということである。仏道は、最初から最後まで安心して歩める道である。 (以上引用) *法津如来のコメント …
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」賢者の道(1)

(以下引用) 【賢者の道】(1)  賢者の道と言うと、何か大変な勉強と努力を重ねなければならないと思うかも知れないが、仏道が賢者の道であるというのはそのようなことではない。  その本意は、たとえば小さな子供が利発であると「君は賢いね」と言いたくなるようなことがあるが、それと同様の意味合いである。すなわち、仏道が賢者の道…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」信仰

(以下引用) 【信仰】  覚るには、信仰に篤いことが必要となる。ただし、それは仏教を宗教として信仰することではない。また、仏を闇雲に信じることが信仰なのではない。仏が説いた言葉(=理法)を鵜呑みにして信じることが信仰なのでもない。諸の経典がすべて正しいと、頑迷に信じることが信仰なのでもない。では、真に必要な信仰とはどのような…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」発心

(以下引用) 【発心】  覚ってしあわせの境地たるニルヴァーナに到達できるかどうかは、聖求を抱いていることや功徳を積んでいること、そして信仰に篤いことがその要件となる。しかしながら、現実にそれを実現できるかどうかの鍵を握っているのが、修行途中において生じる発心である。発心あればこそ修行は真の意味で為され得、発心しているからこ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」聖求(後半)

(以下引用) 【聖求】(後半)  ところで、もし覚りに素質というものがあって敢えてそれを論じるとするならば、それはこの聖求に帰せられるであろう。と言うのは、聖求には次のような性質が認められるからである。  ● 聖求ある人の聖求を損ない挫くことは誰にもできない。  ● 聖求無き人に外から聖求を与えたり喚起したりすること…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」聖求(前半)

(以下引用) 【聖求】(前半)  衆生が、ニルヴァーナを未だ知らぬ身でありながらニルヴァーナを求める心を起こす。これが聖求である。  聖求ある人には、明知を生じる。明知を生じたならば、仏道を見出す。この一なる道の歩みは功徳を積むことである。功徳を積めば、覚りの機縁——苦の覚知と法の句を聞き及ぶこと——を生じる。ここで、…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」苦諦がすべて

(以下引用) 【苦諦がすべて】  繰り返しになるが、仏道を歩む目的はしあわせの境地たるニルヴァーナに至ることである。そして、それはこの世の一切の苦悩から脱れることと同じである。すなわち、一切の苦悩が終滅した境地がニルヴァーナに他ならないということである。  したがって、この根本の苦悩から脱れることを得る方法があれば、そ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」やさしい人が覚る?

(以下引用) 【やさしい人が覚る?】  ブッダとは、真実のやさしさの相を体現した人格完成者である。  では、世俗においてもやさしい人がその先にある存在としてブッダになるかと言えば、そう単純なことではないということになる。これは、やさしい人がさらにやさしくなって——つまり段階的にやさしさが極まって——ついにブッダになると…
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