テーマ:仏道の真実

SRKWブッダ著「仏道の真実++」【修行方法の例示】(1)

(以下引用) 【修行方法の例示】(1)  繰り返しになるが、仏道修行においては実のところ固定的な修行法など何一つ存在していない。しかしながら、構成概念としての修行法ならば提示することができる。それについて述べたい。ただし、以下に提示することはそれぞれ修行の一例に過ぎない。これらを履修することが修行になるわけではないことには、…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【修行は無駄にはならないのか】

(以下引用) 【修行は無駄にはならないのか】  遍歴修行を為すということであるならば、もしも修行が完成しなかった場合にはどうなるのであろうか。つまり、それまでの修行は無駄になるのではないかという危惧を持つ人があるかも知れないということである。これについて述べたい。  結論を言えば、修行が無駄になるかも知れないと予め不安…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(7)

(以下引用) 【遍歴修行】(7)  しかし、具体的にはどうすればよいのであろうか。それは、縁に委ねてその時々に行いたくなった修行を行なうことである。ただし、種々雑多なことをしてはならない。それぞれの時期には一つのことがらに専念すべきである。そして、一定の期間が過ぎたならば、一つのことがらにこだわることなく他の修行に勤しむのも…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(6)

(以下引用) 【遍歴修行】(6)  修行には、終わりがある。先の譬えで言えば、周到に東京に到着した人は旅の終わりをはっきりと知るであろう。東京では、見るもの聞くものすべてが田舎のそれとはまるで違っているからである。その一方で、富士山の山頂に立った人は、旅の終わりを知るどころかこれからどうしようかと途方に暮れているだろう。ある…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(5)

(以下引用) 【遍歴修行】(5)  ここで、心構え正しき人は「上り」という言葉を素直に信じ、正しく用いるであろう。その一方で、心構え正しからざる者は、これを「登り」であると誤認するかも知れない。そして、後者は、気がつけば富士山の頂上に立つことになるかも知れぬ。もちろん、それでは本来の目的地に到達したことにはならない。 …
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(4)

(以下引用) 【遍歴修行】(4)  ここで、心構え正しき人とはその根底の求めが正しいことと同義である。逆に、根底の求めが邪だと心構えは正しくならない。この根底の正しい求めを「聖求」と呼ぶ。すなわち、聖求ある人は、そのまま道を歩めば必ず覚りに達すると断言できることとなる。  聖求については、ずいぶん前の章で説明した。ここ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(3)

(以下引用) 【遍歴修行】(3)  さて、この心構えについて説明するには、字が上手くなろうとして練習することが譬えになるであろう。このとき、学生の心構えが正しければ、練習を重ねて達筆となり目的を達成することができよう。しかし、心構えに問題があると、練習しても達筆とはならず癖字になってしまうだろう。そして、困ったことに彼は練習…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(2)

(以下引用) 【遍歴修行】(2)  このため、修行の本質は「あれもダメこれもダメ」というようなものではなく、むしろいろいろなやり方が認められ得るものとなる。ただし、その根本は法(ダルマ)に適ったものでなければならない。つまり、その修行がニルヴァーナに至るということに結びつかなければ意味はないということになる。  また、…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(1)

(以下引用) 【遍歴修行】(1)  修行について整理すると、次のようになる。  ○ そもそも固定的な修行法など存在していない。  ○ 具体的な修行法は自分自身で見出さなければならない。  ○ ニルヴァーナに至ったとき、自分の修行が何であったのかが分かる。  ○ 一般に、功徳を積むことが修行そのものとなる。  ○…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【修行の終わり】

(以下引用) 【修行の終わり】  誤解している人も少なくないと思うが、覚りに向けた修行は生きている間ずっと続けなければならないものではなく、終わりがあるということである。すなわち、覚った時点で修行は完成し、その後の修行は不要となるからである。  たとえば、すでに大人になった人にさらに大人になれなどとは言わないであろう。…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【功徳のよすが】(7)

(以下引用) 【功徳のよすが】(7)  さて、すべての修行は功徳を積むために行ぜられるものである。逆に言えば、功徳を積むことを得るならば、別に修行という形にこだわる必要はないということである。  こんなことを言うのは、修行などあからさまに行った形跡がないのに覚る人が見られるからである。実際、私の細君(=法風如来)はその…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【功徳のよすが】(6)

(以下引用) 【功徳のよすが】(6)  ● 功徳は、重荷を下ろすために積むものである。重荷が却って増えたならば、それでは功徳を積んだことにはならない。ここで言う重荷とは、しがらみという意味である。功徳を積んだ人は、生活が簡素になり静けさが増す。日々を軽々と送るようになる。 (以上引用) *法津如来のコメント …
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【功徳のよすが】(5)

(以下引用) 【功徳のよすが】(5)  ● サンガ(僧伽)の存在が前提であるが、功徳を積むには出家がすぐれている。 しかしながら、それは家出であってはならない。ここで言う家とは、こだわりの総体を指す。 出家とは、自分の趣味の世界から出て浄らかな集いに住み処を移すということである。 また、家出とはこだわりを心…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【功徳のよすが】(4)

(以下引用) 【功徳のよすが】(4)  ● 功徳は、大事なものが残っている間は積み終わることがない。 これは、覚ったとき、それまで自分が大事だと思っていたものが実はそうではないことを知ることになるという意味である。 世人は、世間のことがらを後生大事にしているものである。 ところが、それが実は自分を縛る縄なの…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【功徳のよすが】(3)

(以下引用) 【功徳のよすが】(3)  ● 功徳は、余計なものを捨て去ることによって積まれる。ただし、本当に大切なものは捨て去ってはならない。その本当に大切なものとは自分自身である。ここで、初学の修行者はその余計なものが何であるのかを明確に知ることは難しいであろう。そこで、省察を為すことが勧められる。省察によって、本当の自分…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【功徳のよすが】(2)

(以下引用) 【功徳のよすが】(2)  ● 予め功徳を積んでいることは、功徳のよすがである。「さあ功徳を積もう」などと言って何も無いところから一気に功徳を積むことはできない。たとえば、大きな結晶を綺麗に作るためには種になる小さな結晶を用意し、それを少しずつ成長させて形成していくであろう。それと同様である。では、最初の功徳はど…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【功徳のよすが】(1)

(以下引用) 【功徳のよすが】(1)  功徳は、どのようなときに積まれるのであろうか。そのよすがについて述べたい。  ● 功徳は、咄嗟のときに一瞬に積まれる。これは、功徳を積むという表現から連想されがちな段階の説を否定する事実である。なぜ功徳が一瞬に積まれるのかと言えば、仏道が基本的には頓悟の道だからである。要するに、…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(9)

(以下引用) 【功徳を積むには】(9)  ● 積んだ功徳は、決して損なわれることがない。もし、このことを信じることができないならば、その者はすでに道を踏み外しているのだと考えなければならない。これは、損得勘定では修行はままならないということである。覚りは、功徳の対価ではない。功徳のみ求めても、覚りに達することはできない。例え…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(8)

(以下引用) 【功徳を積むには】(8)  ● 修行者は、つつしむのが良い。つつしみこそが、功徳の最大の利得(Gain)だからである。これは物事の味わいに関することがらである。風味を知る人は、さらにつつしむであろう。つつしみあってこそ、微妙なる風味が活きてくるからである。智慧は、美味よりも風味に近い。この意味において、風味を知…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(7)

(以下引用) 【功徳を積むには】(7)  ● 修行者は、何もするな。しかしながら、何かをするときには、労を惜しんではならない。このそれぞれが転じる刹那に、功徳は積まれるのである。誰にとっても、具体的に行動を起こすことは大変なことである。些細なことがらでも行為を全うすることは難しい。その難しいことを為し遂げよ。この世には、簡単…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(6)

(以下引用) 【功徳を積むには】(6)  ● 修行者は、世俗的にも幸せであれ。幸せであればあるほど、生じる功徳が大きくなるからである。これは、征服した国を捨てた王のように振る舞えという意味である。また、これは慈悲喜捨の「捨」に関することがらである。ここで「捨」とは、余計なものを捨てて相手に幸福を与え、同時に自分はそれ以上の大…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(5)

(以下引用) 【功徳を積むには】(5)  ● 修行者は、楽しみと栄えを知る人であれ。道の歩みにおいては、それが功徳そのものになるからである。この意味において、楽しみは悪ではない。楽しめない人は、自分自身を見失っているのである。修行者は、楽しみの中に冷静に、真の自分自身を見出せ。 (以上引用) *法津如来のコメ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(4)

(以下引用) 【功徳を積むには】(4)  ● 修行者は、真実から目を逸らしてはならない。そこに、功徳を積む動機を生じるからである。ある種の真実は直視するに恐ろしいものである。それでも、立派な修行者はその真実を見つめるであろう。功徳を積んだ人は、そこに凜とした決心を生じるのである。その決心は、解脱の根拠となるものである。 …
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(3)

(以下引用) 【功徳を積むには】(3)  ● 修行者は、決して自分を捨て去ってはならない。自分自身こそが功徳の拠り所である。もし自分を捨て去ってしまうならば、覚りも何も意味をなさない。覚りは、自分を決して捨て去らないところに存在しているからである。もちろん、自分にこだわる余り、他の人を傷つけたり悲しませたりしては本末転倒であ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(2)

(以下引用) 【功徳を積むには】(2)  ● 修行者は、悲しみを熟知し、しかも悲しみを知らぬ人であれ。そうでなければ、解脱しないからである。これは、悲しみに打ちのめされてはならないという意味である。この世には悲しみが多いことを知ったとき、ある人はどうすればよいのか分からなくなり、立ちすくんでしまうだろう。しかし、それでは仏道…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むには(1)

(以下引用) 【功徳を積むには】(1)  ニルヴァーナを目指して修行する人にとって、どうすれば功徳を積むことができるのかということは重大な関心事であろう。その具体的なことを述べたい。  ● 修行者は、自分を含めて、誰も悲しませてはならない。悲しみあるところには、決して功徳は生じないからである。これは、逆に見れば人は知ら…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むこと(7)

(以下引用) 【功徳を積むこと】(7)  ● 功徳は、功徳を呼ぶ。この意味において、修行者は小さな功徳を軽んじるべきではない。実際には、功徳を積むことによって他の人を覚り(安らぎ)に近づけることになるであろう。そして、そのことによって自分の安らぎがいや増し、巡り巡ってさらなる功徳が積まれたことになるわけである。 (…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むこと(6)

(以下引用) 【功徳を積むこと】(6)  ● 功徳は、これで功徳が積まれるだろうなどと意識して積むものではない。しかしながら、仏道を歩む修行者は功徳を積むことそれ自体は意識すべきである。これは、功徳ということを知らずに無邪気に功徳が積まれるものではないという意味である。例えば、勉強は意識して行わなければ身につかない。つまり、…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むこと(5)

(以下引用) 【功徳を積むこと】(5)  ● 功徳は、想念の帰趨ではない。功徳を積もうとして何を想い、何を念じても、それによって功徳が積まれることはないということである。つまり、功徳はこころに積むものであるが、それは想念によるものではないという意味である。逆に言えば、想念によって功徳が損なわれることもないということでもある。…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むこと(4)

(以下引用) 【功徳を積むこと】(4)  ● 功徳は、行為の帰趨ではない。要するに、功徳は気持ちの問題であるということであり、功徳はこころに積むものであると知られるということである。このため、行為の多寡とは無関係に功徳は積まれる。ある場合には、何一つ行為せずに功徳が積まれる。つまり、やさしい行為が功徳になるわけではなく、やさ…
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