テーマ:石法如来の特別寄稿

石法如来の特別寄稿:インターネット時代の仏教

パーソナルコンピュータ(以下、「パソコン」と標記)とインターネットの普及とともに、情報伝達速度と拡散スピードが格段に速くなったことは否定出来ない事実です。 かく言う私も、現代科学の進歩の恩恵を受けている一人です。今から、20数年前ウインドウズ98のノートパソコンを購入し、モデムを装着しインターネットを始めたのが懐かしい思い出です。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:古希を生きる・・・三つのおごり。(その3)

三つ目は、「生存のおごり」です。                                                          「愚かな凡夫は、みずから死ぬものであるにもかかわらず、                                    他人が死ぬのを見て、悩み恥じ嫌悪している。         …
トラックバック:0
コメント:1

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:古希を生きる・・・三つのおごり。(その2)

自分自身が、実際に古希を迎えるに当たり思い出したのは、若い頃原始仏典を読み学んだことのある「三つのおごり」の教えです。仏教を学ぶ上で、ある意味当然な教えですが当時はまだ若かったので今ほど切実さを感じなかったのは事実です。   それでは、経典を読んで中身を振り返ってみます。 一つ目は、「若さのおごり」というものです。   「愚か…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:古希を生きる・・・三つのおごり。(その1)

私は、今年3月に満七十歳になりました。七十歳と言えば古希ということですが、本来は数え年で祝っていたそうですが、現在では満年齢で祝うことが多くなってきているようです。   古希について、唐代の詩人である杜甫(とほ)は曲江(きょっこう・中国の長安の東南にあった池の名)において次のような詩を書いております。・・・「酒債(しゅさい)は尋常行…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:コロナこれから・・・。(その6)

コロナ騒動が起きた当初、ヨーロッパの方で死者が激増した時期があります。その時、聞いたのは「サイトカインストーム」という言葉です。これは、一体どの様な現象なのでしょう。   ・・・「サイトカインストーム」について、最近購入した内海聡医師による『医師が教える新型コロナワクチンの正体』(本当は怖くない新型コロナウィルスと本当に怖い新型コロ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:コロナこれから・・・。(その5)

我が国政府は、脇目もふらずワクチン接種に専念しておりますが、新型コロナ騒動を解決するには、「これしか手段はない」という感じです。 記事を書いている時点(9月1日)で、約7000万人の国民がワクチン接種終了らしいですが、感染者の増加は収まっておりません。   ワクチンに対する期待が、全く外れていると言える状況ですが一体何が起こってい…
トラックバック:0
コメント:1

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:コロナこれから・・・。(その4)

現在、世間の風潮はコロナワクチンを接種して当たり前という感を受けます。ネット動画を検索していても、ワクチン接種に否定的な意見は削除されているようで、情報統制は本当に酷いと感じます。とにかく、不都合な真実は国民の目に触れさせない、そうすれば余計なことを考えさせずに規定路線を歩ませることが出来るという考えです。   そのように情報を遮断…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:コロナこれから・・・。(その3)

最近ネット動画を見ておりましたら、スペイン在住の方(クリスタル・スペインさん)の動画にヨーロッパにおけるワクチンパスポートのお話が出て参りました。 ご存じのように、デルタ株にはワクチン接種の効果は薄い状況を見て、私は個人的にワクチンパスポートの実施について懐疑的な見方をしておりましたが現実はまるで違うようです。   フランスの場合…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:コロナこれから・・・。(その2)

前回の記事で紹介した動画中、犬吠春彦博士が「やがてコロナは、インフルエンザなどの「はやり風邪」の扱いになっていく可能性が高い」と申しておりましたが、それについて新たな動きがあるようです。   参考動画に上げましたが、厚労省が現在の新型コロナに関して「厳格措置見直し」の動きがあるようです。・・・参考動画に上げたYouTuberさんは、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:コロナこれから・・・。(その1)

これから、私たちの住む世界はどうなるか?・・・これは現在、世界的な問題になっているコロナ・パンデミックが今後どうなって行くのか?、という問いでもあります。   今後の進路として、少なくても三つの方向が考えられます。一つは、コロナが消えて無くなり以前の生活に戻ることが出来る。次に、相変わらずコロナが猛威を振るい終息しない。三つ目は、コ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:平和の希求(現代情報戦争)その5

昨年(2020年)春発生した新型コロナパンデミックなる世界的騒動で、世の中は一変してしまいました。 日本においても、オリンピックのためと4回目となる非常事態宣言を発出、更に無観客開催を決め近代文明社会を自認する国(日本)において、これ程盛り上がりに欠けるオリンピックを目にするとは思いませんでした。   世界的な新型コロナ騒動におい…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:平和の希求(現代情報戦争)その4

私自身も、昨年(2020年)5月頃位までは大変な感染症が発生したので覚悟を決めねばと考えましたが、想定より遙かに被害が少ないので、新型コロナ騒動は実体なきものであると見破ることを得ました。   物事の本質に到達すると、コロナ(今回の場合)は怖くなくなります。ただ、本質を見破っている人間があまりに少ないので、普通の考えの人間とは意見が…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:平和の希求(現代情報戦争)その3

私には、日本国における先の大戦(太平洋戦争)のイメージがよぎります。農耕民族の日本人が、何故狩猟民族であるアメリカ・イギリス・フランスなどの大国に無謀な戦いを挑んで行ったのか? 情報に疎かった?・・・それも多少ありますが、一番は「国民の熱狂」が大きな原因であったと考えます。最も、この説は歴史探偵といわれた故・半藤一利(作家)氏の受け売…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:平和の希求(現代情報戦争)その2

私たちの世界は、すでに弾の飛ばない戦争状態にあると書きましたが、私たちは今歴史の転換点にいると考えることが出来ます。 世界的なパンデミックの発生により、どこの国の国民も行動制限を受けています。近年、世界でこの様な事態は起きたことがありません。   それ程までに、新型コロナと称する病気は国民の行動を制限せねばいけないほど重篤な症状を…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿: 平和の希求(現代情報戦争)その1

昨年(2020年)春から始まった新型コロナ騒動で、世の中の空気は一変してしまった感があります。閉塞感が漂う世相は、本当に平和なのか戦時なのかすら分からない状況です。   私の勝手な思い込みでなければ、現在目の前で起こっている諸々は、「戦時下のそれ」ではないかと錯覚するくらいです。私の場合、18歳から54歳までの36年間自衛官として国…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:「親子の因縁」について。

この世において、因縁が深いのはやはり家族です。今日は、親子の因縁ということで少し書いてみます。なぜ親子かと申しますと、夫婦の因縁は確かに深いものがありますが、血の繋がり(血縁)というものがありません。 その意味では、何より深い因縁で結ばれているのは親子であると言えるからです。   今回、なぜこのテーマで書こうと考えたかと申しますと…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:自省と省察(じせいとせいさつ)

仏道修業に関して、自分自身の長所(良い点)と自らを振り返って考えた場合、私は「自省(じせい)」という言葉を思い浮かべます。 それは、決して声を大にして言いたいことでも強調したいことでもなく、そういえば「その様な長所があった」という気づきと自覚の如きものです。   SRKWブッダは、著書(『仏道の真実++』)に「省察」(せいさつ・し…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:(十二支)縁起の考察(その13)

以上、十二支縁起の観想法について述べてきましたが、これは仏教の修行体系である三学のうちの、増上心学(定)に該当する修行法です。 だが、三学における増上戒学(戒)、増上心学(定)、増上慧学(慧)は不即不離なものであり、その兼修により智慧が強化され、無明を根源とする煩悩を断滅することにより解脱が達成され、涅槃の境地に到達することが出来ると…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:(十二支)縁起の考察(その12)

また、最初期の経典である『スッタニパータ』には、つぎのような縁起の観察法が説かれています。 「「およそ苦しみが生ずるのは、すべて素因に縁って起こるのである」というのが、一つの観察〔法〕である。「しかしながら、素因が残り無く離れ消滅するならば、苦しみが生ずることがない」というのが第二の観察〔法〕である。このように、二種〔の観察法〕を正し…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:(十二支)縁起の考察(その11)

戒とは、習慣・習性・慣行などの意味があるが、心身を調整して悪をやめ善をなさしめる宗教的同時的な行為の規範や生活の規定のことです。 定とは心を統一し、安定させることで、音写して「三昧」(さんまい)あるいは「三摩地」(さんまち)といい、また「等持」(とうじ)とも訳します。その具体的方法としては「禅」と呼ばれる瞑想が主であるため、しばし…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:(十二支)縁起の考察(その10)

仏教でいう智慧とは「般若」ともいい、「個々の現象を分析して判断する識から出発して、これを越え存在の全てを全体的に把握するようになる」ことであり最初期の経典には、「明らかな智慧によって四つの尊い真理を見るときに、この人は迷える生存の妄執を破り摧(さい・砕く)く道を明らかに知る。」(『ウダ-ナ・ヴァルガ』(第十二(一))   「「一切の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:(十二支)縁起の考察(その9)

第三章 十二支縁起の実践行 第一節 十二支縁起と中道   先ず、釈尊が目指した仏教の実践修行には、一体そのような意義があるのでしょうか。経典では、人間には「聖なる求め」と「聖ならざる求め」があると教えますが、釈尊が実践修行を始めるにあたって想定したのは「聖なる求め」でした。   釈尊は、十二支縁起における「老病死憂悲悩苦」を解…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:(十二支)縁起の考察(その8)

何より経典に、「かの愚癡無聞の凡夫は、識において厭いを生じ欲を離れ、背捨(そむきすつ・滅尽定にいたる八種の解脱)することを能わず(あたわず・出来ない)」とあるように、十二支縁起説における無明や行は、十支縁起説における識(認識・識別作用)よりも更に深い精神領域に位置して、人間の果を生ずる因をなしている縁であり、十二支縁起においてはじめて、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:(十二支)縁起の考察(その7)

愛(あい・渇愛)の滅によって解脱が成就されるなら、十二支縁起説において無明を登場させる必要は無いはずといえます。その様な意味で、両説には明らかな矛盾が存在しています。この矛盾に対する解答を、経典から見いだすとすれば・・・。   「また次に聖弟子は、僧法の善く向ひ、正しく向ひ、直く向ひ、等しく向ひて随順行(ずいじゅんぎょう)を修するを…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:(十二支)縁起の考察(その6)

第二節 他支縁起の考察   原始仏教経典における縁起説は、十二支縁起とともに三支・四支ないし九支・十支等の他の縁起支も数多く説かれ、その成立について様々に論議されています。 成立の順序について、十二支縁起の成立は縁起説の中では最も新しいと見られていますが、その一番大きな理由は簡単な三支・四支・五支などの縁起説が、十二支縁起説よりも…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿: (十二支)縁起の考察(その5)

6 触(しょく)-触とは、六触身(眼触身・耳触身・鼻触身・舌触身・身触身・意触身)を言い、愚癡にして無聞の凡夫は、この六つの接触の入るところに触れることにより苦楽受を知り、種々の原因を生起すると説きます。   7 受(じゅ)-受には、快適の対象(楽)を感受、苦痛の感覚(苦)を感受、苦でも楽でもない(不苦不楽)感受の三受があり、それぞ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:(十二支)縁起の考察(その4)

このように縁起とは、前述したように苦の生起(順観)と滅尽(逆観)という表裏一体の二方向を包含する法そのものであり、それと理論としての一切法(五蘊・十二処・十八界)が密接に融合して、仏教の法体系を作り上げているといえます。   それはまた、原始仏教経典の中では究極の教えとされる四種の真理(四聖諦)にも対応しています。四聖諦とは、第一に…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:(十二支)縁起の考察(その3)

「法」(ダルマ)とは、「たもつもの」特に「人間の行為をたもつもの」を原意とするが、この現象の世界を「たもつもの」が、この因と縁ということになります。   しかし、この因は原因そのものであるから当然、人間の力ではどうすることもできないものです。ゆえに仏教では、この因を助成する事情や条件という間接的原因である縁を問題にするのです。  …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:(十二支)縁起の考察(その2)

それは釈尊が、輪廻と業の思想の中で「生死は何に従い何を縁として有るや」という、人間苦の存在に対する大いなる疑問への解答であり、その原因と条件とを思惟した時、「智が生じ、眼が生じ、明が生じ、通が生じ、慧が生じ、證(あかり)が生じた。」(『長阿含経』巻第一(一))ものなのです。   すなわち、「所謂(いわゆる)、無明を縁じて行あり、行を…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石法如来の特別寄稿:(十二支)縁起の考察(その1)

第一章 十二支縁起の「さとり」 第一節 苦の生起と滅尽   私は過去、佛教大学の卒業論文として『十二支縁起の考察』を書きました。今回は、その論文を読みやすく理解しやすいよう少しアレンジして書いてみたいと存じます。 ただ内容的には、原始仏教経典による仏教理論に基づく解説でありやや難解です。また、SRKWブッダの説く「覚りにいたる教…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more