テーマ:不可思議

SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(6)

(以下引用)  ◇ 輪廻説の是非正否に修行者が翻弄されない 輪廻説が正しかろうが間違っていようが、それを認めていようが否定していようが、気にしていようがいまいが、立派な修行者は最終的にはニルヴァーナに到達する。これは一つの不可思議である。 誤解を生じないように説明を加えておくが、輪廻説を肯定している人が覚れないと主張す…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(5)

(以下引用)  ◇ 解脱そのものは不可思議ではない 抗生物質を服用すると、口から(消化器官から)遠く離れた例えば手や足などの患部の細菌感染を予防することができる。抗生物質は、身体の健康な部位には悪影響を及ぼすことなく、選択的に患部の炎症を防止するのである。それと似て、解脱によって消滅するこの名称と形態(nama-rupa)は…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(4)

(以下引用)  ◇ 解脱のプロセスはこの世で最大の不可思議 心が、他でもないその同じ心を滅し解脱を果たすという解脱のプロセス——敢えてここではプロセスという言葉を用いるが——は、この世における最大の不可思議である。 まるで心が自殺を望み、しかしそのままで終わることなくその後必ずよりよい形で再生することを知っているかの如…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(3)

(以下引用)  ◇ 不可思議なる発心 人が仏道を歩んだとき実際に覚りに達するかどうかは、この道の重要な分水嶺となる発心にかかっている。そして、発心は覚りの道におけるとくに大きな不可思議である。 疑いなく、発心は第一の善知識との出会いによってもたらされるものである。それゆえに、今世での覚りを望む修行者は、善知識との出会い…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(2)

(以下引用)  ◇ 発心以前に起こる不可思議 有り体に言えば、発心以前の修行者は本当の意味での修行者とは言えないものである。何となれば、発心していない修行者は法の句を聞いても解脱しないからである。 ところが、発心以前の修行者であっても、まるですでに発心した立派な修行者であるかのように不可思議に遭遇することがある。その具…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(1)

(以下引用) この世の最大の不可思議は、衆生の心がその己の心を滅することを欲し、実際にそれをこの名称と形態(nama-rupa)の終滅という形で実現し、しかしそれによって作仏してニルヴァーナに至るという事実である。ただし、不可思議はそれだけではない。 さて、この世にはいろいろな不思議があると人々に周知されていることがあろう。…
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