テーマ:経典の読誦

SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(9)

(以下引用) 【経典の読誦】(9) ところが、経典が素晴らしいのはそれだけではないのである。 経典は、読誦してその雰囲気を味わうだけでも一つの修行として成立し得ることが分かっているからである。 このとき、経典の内容を理解する必要さえ無い。 経典の中の仏が衆生に向かって語る様子をイメージするだけでも良いのであ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(8)

(以下引用) 【経典の読誦】(8) ところで、経典は真のやさしさについて記したものであることを知っていたとしても、やはり難解なものであろう。 書いてあることは一通り理解できても、それがどうして素晴らしいのかがピンと来ないのもある意味では当然である。 例えば、親が子に対して発する躾の言葉が、子供にはすぐには理解でき…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(7)

(以下引用) 【経典の読誦】(7) 修行者は、最初のうちは経典を読んでもちんぷんかんぷんかも知れない。なぜならば、真のやさしさは世俗のそれとは趣が異なっているからである。ある人は、次のような感想を持つかも知れない。 「確かにやさしいが、それが究極のやさしさであるというのがピンと来ない」 この点については、次のよう…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(6)

(以下引用) 【経典の読誦】(6) もちろん、どのブッダにも共通の特性がある。それは、  「ブッダはやさしさの究極の相である」 ということである。 このため、すべての経典にはこのことに基づく特徴が継承されている。 一部の経典は極めて難解で冷徹な印象を受けるかも知れないが、仏教の真髄を理解した人にはこの…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(5)

(以下引用) 【経典の読誦】(5) 正法とは、言ってみればその経典を著したブッダの世界観の表明である。 そして、その世界観に基づいて経典は統一的に編纂されることになるのである。 さまざまな方便の説も、その世界観を分かり易く補強するためのものである。 すなわち、ある経典を読誦するということは、その経典を著した…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(4)

(以下引用) 【経典の読誦】(4) したがって、とくに大乗経典を読誦することの一番の意味は正法を知ることにある。 ただし、経典の中のどの部分が正法であるかは明らかには示されていない。 覚った人だけが、それぞれの経典の正法の記述部分を指し示すことができるのである。 あるいは、覚ったときに経典のどの部分が正法で…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(3)

(以下引用) 【経典の読誦】(3) もちろん、それぞれの経典にはその核心である正法の記述が認められる。 人は、正法にしたがい、正法により、正法の真の理解を生じつつあるとき、まさしく正法を理解する機縁を生じ、因縁があって、正法の記述が真実であると知った人が、この正法によって仏となるのである。 大乗経典は、これを最も…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(2)

(以下引用) 【経典の読誦】(2) 初期の段階では、ブッダの言葉を集め、憶えやすくするために韻文の偈の形に編集して口伝で継承された。 時代が下って、文字を用いて経典を記すようになると、散文や物語性を帯びた経典が編纂されるようになった。 そして、釈尊の滅後4〜500年経過した時代には、いわゆる大乗経典が当時のブッダ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(1)

(以下引用) 【経典の読誦】(1)  ある人は、経典を読誦することは、仏教とは何であるかを知的に理解することに役立つものであると考えているかも知れない。 しかしながら、経典が書かれた本来の目的は、衆生が覚ることに直接役立たせようとしたものである。 (以上引用) *法津如来のコメント 【経典の読誦】…
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