163.自分のためにならないことと悪いことはすぐできる ダンマパダ 第12 163 ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 自己に無益なことおよび 不善のことは行いやすい しか… トラックバック:0 コメント:9 2010年03月05日 続きを読むread more
162.破戒の人は自分の敵が求めるように自分自身を不幸にする ダンマパダ 第12 自己の章 162 ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します あまりに悪しき性の者は 敵がかれに求める… トラックバック:0 コメント:8 2010年03月04日 続きを読むread more
161.自分が作った悪行が自分を悩ませる ダンマパダ 第12 自己の章 161 ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 自らなした悪こそは 自己より生じ自己より… トラックバック:0 コメント:7 2010年03月03日 続きを読むread more
160.自己こそ自己の寄る辺なり ダンマパダ 第12 自己の章 160 ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 自己こそ自己の寄る辺なり 他の何者が寄る… トラックバック:0 コメント:12 2010年03月02日 続きを読むread more
159. 実践した者は他者を指導できる ダンマパダ 第12 自己の章 159 ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 他者を教誡するように 自己に対して行えば … トラックバック:0 コメント:11 2010年03月01日 続きを読むread more
158.まずは自己を第一にふさわしきものに調えよ ダンマパダ 第12 自己の章 158 ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します まずは自己を第一に ふさわしきものに調え… トラックバック:0 コメント:10 2010年02月28日 続きを読むread more
157. もし自分をいとしいと思うならば ダンマパダ 第12 自己の章 157 ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 自己が愛しいと知るならば それを守り護るべし… トラックバック:0 コメント:14 2010年02月27日 続きを読むread more
63.自分が愚かと知る人は賢者なり ダンマパダ 第5章 愚か者 63 愚か者が愚かと知れば かれはそれ故に賢者なり 愚か者が賢者と思えば かれこそ愚かな者と言われる (片山一良先生 訳) 〇超訳の試み 人は皆自分は正しいと 思うものだが大間違い 間違っていると思える人は 事実を知る人だから賢者だ 〇子供のためのダンマパダ … トラックバック:0 コメント:7 2009年12月16日 続きを読むread more
人のため自分の目的捨てるなよ 目的よく知り専心すべき ダンマパダ 166 他人の目的が重大であっても そのために自分の目的を捨ててはならない 自分の目的を熟知して 自分の目的に専心すべき ○この詩から学ぶこと 今回の詩の、キーワードは「他人の目的」と「自分の目的」です。 「他人の目的は何ですか?」 別の言葉で言えば、「何が他人の為になるのですか?」これは、… トラックバック:0 コメント:9 2009年04月29日 続きを読むread more
悪行は自己の責任 悪行をしないのならば自己は清らか ダンマパダ 165 自分で為された悪行で 自分が不浄になる 自分が悪行を為さないならば 自分が清浄になる 清浄、不浄は自分の責任 他人が他人を浄化できない ○この詩から学ぶこと 1.自分が悪行為をすれば、自分の心が汚れます。汚れた心で、何をしてもその人は不幸になります。(ダンマパダ1番、参照 http://7… トラックバック:0 コメント:7 2009年04月28日 続きを読むread more
阿羅漢の教えを非難する人は結果が熟すと己が滅びる ダンマパダ 164 真理に従って生きている 阿羅漢たちの教えを 悪い見解によって 愚かにも非難するならば カッタカ草のように 実が熟すと己が滅びてしまう ○この詩から学ぶこと この詩を要約すると、「阿羅漢を非難すると自分が滅びてしまう」ということです。そうすると現代人は、なぜ阿羅漢を非難すると、自分が滅びる… トラックバック:0 コメント:8 2009年04月27日 続きを読むread more
悪いこと為にならぬこと為し易い為になること実に為し難い ダンマパダ 163 悪いことは為し易い また自分の為にならないことも 為になることと善いことは 実にきわめて為し難い ○この詩から学ぶこと 「なぜ、人は自分が不幸になるのに、悪いことをするのでしょうか?」という問題を昨日皆さんに提起しました。それに対して、高橋優太さんが、「悪いことは簡単にできるからだと思います… トラックバック:0 コメント:7 2009年04月26日 続きを読むread more
極端な破戒行為をする人は自分自身を地獄に落とす ダンマパダ 162 極端な破戒を行う人は まるで自分の敵がするように 自分自身を不幸にする つる草がサラの木にまとい付くように ○この詩から学ぶこと この162番の詩の趣旨は、今年の1月28日のブログに掲載した42番の詩とよく似ています。つまり、破戒(悪行為)をすることは、自分自身を苦しめることなのだと釈尊は繰… トラックバック:0 コメント:17 2009年04月25日 続きを読むread more
自分から生じ現れた悪行が自分自身を不幸にするのだ ダンマパダ 161 自分から生じ自分から現れた 自分が作った悪行が 自分を悩ませる ダイヤの粉がダイヤを削るように ○この詩から学ぶこと 演劇は人間世界の有様を表現しています。その演劇には悲劇と喜劇があります。悲劇は観客を喜ばせるものではありません。悲劇の主人公は不幸な結果で終わるのです。一方、喜劇の主人公は幸… トラックバック:0 コメント:10 2009年04月24日 続きを読むread more
己こそ己の守護者躾けられた己は得難い己の守護者 ダンマパダ 160 己こそが己の守護者 他の人が守護者でありえようか よく躾けられた己こそ 得難い守護者になりえる 〇この詩から学ぶこと 昨日、スマナサーラ著「仕事でいちばん大切なこと」(マガジンハウス、1240円)がゴータミー精舎に送られて来ました。内容は 第1章 人間関係は仏教に学べ 第2章 今日一日を生き… トラックバック:0 コメント:15 2009年04月23日 続きを読むread more
他の人を躾けることは難しい己の躾け更に困難 ダンマパダ 159 他人を躾(しつ)けたように 自分も行うべきだ よく躾けられた人間が躾けることができる 自分を躾けることは難しいから ○この詩から学ぶこと 今回の詩の「躾ける(しつける)」という言葉は、パーリ語では「アヌサーサティ」で、パーリ語辞典によれば、「教える。諭す。訓戒する。」という訳があります。昨日… トラックバック:0 コメント:8 2009年04月22日 続きを読むread more
第一に自分が実践二番目に他人を指導これが原則 ダンマパダ 158 第一に自分が 正しい行いをして 次に他人を教育すべきだ そうすれば賢者は非難されない 〇この詩から学ぶこと ダンマパダのどの詩の内容も普遍的真理ですから、ある分野についてのみ適応できるというものではありません。しかし、私は釈尊の教育論を調べたいのであれば、「第12自己の章」を読むと教育問題の… トラックバック:0 コメント:8 2009年04月21日 続きを読むread more
自己愛に気付いたならば自己守れ三つの時期の一つだけでも ダンマパダ 157 もし自分をいとしいと思うならば 自分をよく守るべきだ 三つの時期の一つだけでも 知恵ある人は目覚めるべきだ ○この詩から学ぶこと 今回の157番の詩から、166番の詩まで、「第十二 自己の章」になります。 「もし自分をいとしいと思うならば」とは、誰もが自分自身の心をしっかり感じるなら… トラックバック:0 コメント:8 2009年04月20日 続きを読むread more