テーマ:遍歴修行

どうしたらよいか?

今日は、ブログに何を書こうか少し考えました。 そこで、最近よく考えていることを素直に書くことにしました。 SRKWブッダは修行について次のように述べています。 https://76263383.at.webry.info/202008/article_6.html (以下引用)  仏道を歩み始めたばかりの人は、修行…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(7)

(以下引用) 【遍歴修行】(7)  しかし、具体的にはどうすればよいのであろうか。それは、縁に委ねてその時々に行いたくなった修行を行なうことである。ただし、種々雑多なことをしてはならない。それぞれの時期には一つのことがらに専念すべきである。そして、一定の期間が過ぎたならば、一つのことがらにこだわることなく他の修行に勤しむのも…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(6)

(以下引用) 【遍歴修行】(6)  修行には、終わりがある。先の譬えで言えば、周到に東京に到着した人は旅の終わりをはっきりと知るであろう。東京では、見るもの聞くものすべてが田舎のそれとはまるで違っているからである。その一方で、富士山の山頂に立った人は、旅の終わりを知るどころかこれからどうしようかと途方に暮れているだろう。ある…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(5)

(以下引用) 【遍歴修行】(5)  ここで、心構え正しき人は「上り」という言葉を素直に信じ、正しく用いるであろう。その一方で、心構え正しからざる者は、これを「登り」であると誤認するかも知れない。そして、後者は、気がつけば富士山の頂上に立つことになるかも知れぬ。もちろん、それでは本来の目的地に到達したことにはならない。 …
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(4)

(以下引用) 【遍歴修行】(4)  ここで、心構え正しき人とはその根底の求めが正しいことと同義である。逆に、根底の求めが邪だと心構えは正しくならない。この根底の正しい求めを「聖求」と呼ぶ。すなわち、聖求ある人は、そのまま道を歩めば必ず覚りに達すると断言できることとなる。  聖求については、ずいぶん前の章で説明した。ここ…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(3)

(以下引用) 【遍歴修行】(3)  さて、この心構えについて説明するには、字が上手くなろうとして練習することが譬えになるであろう。このとき、学生の心構えが正しければ、練習を重ねて達筆となり目的を達成することができよう。しかし、心構えに問題があると、練習しても達筆とはならず癖字になってしまうだろう。そして、困ったことに彼は練習…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(2)

(以下引用) 【遍歴修行】(2)  このため、修行の本質は「あれもダメこれもダメ」というようなものではなく、むしろいろいろなやり方が認められ得るものとなる。ただし、その根本は法(ダルマ)に適ったものでなければならない。つまり、その修行がニルヴァーナに至るということに結びつかなければ意味はないということになる。  また、…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(1)

(以下引用) 【遍歴修行】(1)  修行について整理すると、次のようになる。  ○ そもそも固定的な修行法など存在していない。  ○ 具体的な修行法は自分自身で見出さなければならない。  ○ ニルヴァーナに至ったとき、自分の修行が何であったのかが分かる。  ○ 一般に、功徳を積むことが修行そのものとなる。  ○…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」修行(1)

(以下引用) 【修行】(1)  ずっと前の章で、  「仏道を歩み始めたばかりの人は、修行することが道の歩みそのものであろうと考えているかも知れない。もちろん、それはその通りなのであるが、知っておかなければならないことは、実のところ固定的な修行法など何一つ存在していないという事実である。 {中略} では、修行の実際とは何…
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SRKWブッダ著「仏道の真実++」賢者の道(12)

(以下引用) 【賢者の道】(12)  ● 修行の紆余曲折を気にすべきではない。最初から最後まで一直線に、用意周到に道を歩む修行者などありはしない。仏道はまっすぐに歩めと説かれるが、実際には、その歩みは遍歴修行であり当然に紆余曲折が伴う。この紆余曲折には、たとえば経典に疑問を持ったり、生き身のブッダに疑義を呈したりすることも含…
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#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第31章 心 4偈

4 この心は胎児の状態にあり、牢固としていないし、見ることもできない。わたしはつねに教えさとす、___わがためにならぬように外へ出歩くことなかれ。 (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)  *法津如来のコメント この心とは、衆生の心です。衆生の心は胎児のようなものだというのです…
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