七覚支 心を育てる 修行法 執着捨てて 阿羅漢になる(89) 阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 イェーサン サンボーディヤンゲース Yesaṃ sambodhiyaṅgesu, それらの 悟りの部分において サンマー チッタン スバーウィタン sammā cittaṃ … トラックバック:0 コメント:6 2012年06月02日 続きを読むread more
100~102.聞いて心の静まりゆける一つの意味ある句がまさる ダンマパダ 第8 千の章 100、101、102 ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 無意味な句を伴える 一千からなる言葉よりも 聞いて心の静まりゆける 一つの意味ある句がまさる 無意味な句を伴える 一千からなる詩偈より… トラックバック:0 コメント:8 2010年01月19日 続きを読むread more
99.阿羅漢には森林は楽しい、そこは人が楽しむ所ではないが ダンマパダ 第7 阿羅漢の章 99 ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 世人が楽しむことのない 森はいずれも楽しいところ 離貪の者らは楽しむでろう かれらは貪り求めぬゆえに (片山一良先生 訳) ○超訳の試み … トラックバック:0 コメント:6 2010年01月19日 続きを読むread more
98.阿羅漢が住む所は楽しい土地になる ダンマパダ 第7 阿羅漢の章 98 ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 村においても、森においても 低地においても、平地においても 諸阿羅漢が住むところ その地は楽しいところなり (片山一良先生 訳) ○超訳の試… トラックバック:0 コメント:9 2010年01月17日 続きを読むread more
97.盲信せずに、涅槃を知り、輪廻の絆を断ち切った人 ダンマパダ 第7 阿羅漢の章 97 ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 無信にして、無作を知り また絆を断ち切って 機会を破り、欲を吐いた人 かれこそ実に最上人なり (片山一良先生 訳) 〇超訳の試み 盲信… トラックバック:0 コメント:7 2010年01月16日 続きを読むread more
96.阿羅漢の心は静かなり、言葉も行為も静かなり ダンマパダ 第7 阿羅漢の章 96 ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 正しく知って解脱した者 寂静の者、そのような者 かれの心は静かなり 言葉も行為も静かなり (片山一良先生 訳) 〇超訳の試み 心が静か… トラックバック:0 コメント:11 2010年01月15日 続きを読むread more
95.大地のように怒ることなく、門柱のように堅固に務める ダンマパダ 第7 阿羅漢の章 95 ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 大地のように怒ることなく 門柱のように堅固に務める かれは泥なき池にも似たり かかる者に輪廻は起こらず (片山一良先生 訳) 〇超訳の試… トラックバック:0 コメント:8 2010年01月14日 続きを読むread more
94.御者に調教された馬のように自分の感覚器官を落ち着かせ ダンマパダ 第7 阿羅漢の章 94 ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 御者に御された馬の如く 諸感官が静まっている 慢が断たれて煩悩のない かかる者を諸天も羨む (片山一良先生 訳) 〇超訳の試み 御者に… トラックバック:0 コメント:7 2010年01月13日 続きを読むread more
92.93.彼らの行方は知りがたい空飛ぶ鳥の行方のように ダンマパダ 第7 阿羅漢の章 92.93. ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 貯え蔵することがなく 食べる物に知悉(ちしつ)して 空にしてまた無相なる 解脱の境地を得た者らの かかる行方(いくえ)は辿(たど)りがたい 空飛… トラックバック:0 コメント:12 2010年01月12日 続きを読むread more
91.白鳥が池を離れるようにかれらは家をつぎつぎ捨てる ダンマパダ 第7 阿羅漢の章 91 ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 念をそなえて努力する かれらは住処に楽しまず 白鳥が池を離れるように かれらは家をつぎつぎ捨てる (片山一良先生 訳) 〇超訳の試み(あるい… トラックバック:0 コメント:10 2010年01月11日 続きを読むread more
90.あらゆる束縛を捨てた人には悩み苦しみは存在しない ダンマパダ 第7 阿羅漢の章 90 阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します 旅路を終えて憂いなく あらゆるものから解脱して 束縛すべてを断つ者に 苦しみ悩みは見られない (片山一良先生 訳) 〇超訳の試み 輪廻の旅を終え憂いを離れ あらゆることから解放されて あらゆる束縛… トラックバック:0 コメント:9 2010年01月10日 続きを読むread more
阿羅漢は森や林を楽しむよ欲を求めぬ人々だから ダンマパダ 99 森林は楽しい そこは人々が楽しむ所ではない 欲を離れた人々が楽しむ所 彼らは欲を求めないから ○この詩から学ぶこと 「森林は楽しい」と言えるのは阿羅漢だけなのです。インドの森林は日本では考えられない恐ろしい所なのです。恐ろしい猛獣もいるし、毒蛇や毒のある昆虫もいます。植物もいろいろあります。食… トラックバック:0 コメント:14 2009年03月15日 続きを読むread more
阿羅漢の住む所みな楽土だよ村であろうが森であろうが ダンマパダ 98 村でも森でも 低地でも高地でも 阿羅漢が住む所は 楽土となる ○この詩から学ぶこと なぜ阿羅漢の住む所は、どんな所でも楽土になるのでしょうか? 生きていくことは楽ではないのです。苦しいのです。と釈尊は仰っています。しかも私たちは自然に逆らって、法則に逆らって生きているのですから、さらに… トラックバック:0 コメント:9 2009年03月14日 続きを読むread more
最上人盲信せずに無為を知り法に従い欲捨てにけり ダンマパダ 97 盲信せずに、無為を知り 輪廻のつなぎを断つ人は 法に従い、欲捨てた 彼こそ実に最上人 ○この詩から学ぶこと この詩ができた因縁物語は次の通りです。釈尊は最終的な悟りに近い三十人の比丘たちに、あることを教えるために、サーリプッタ長老を呼んで、質問しました。「サーリプッタよ、人は私の教える瞑想によ… トラックバック:0 コメント:11 2009年03月13日 続きを読むread more
阿羅漢の心は静か行いも話す言葉も穏やか静か ダンマパダ 96 心が静かであり 言葉と行いが静かな人は 正しい智慧で解脱した 寂静なる人だ ○この詩から学ぶこと 皆さんは、このブログのタイトルを読んでおられますか。昨年の6月23日にブログを書き始めた時、タイトルの欄に何か書くようにパソコンから指示されるので、適当に記入しました。後で記事を見直す時、タイトル… トラックバック:0 コメント:15 2009年03月12日 続きを読むread more
怒らない慎み深く清らかな そんな人には輪廻はないぞ ダンマパダ 95 大地のようの怒らない 門柱のように慎み深く 濁りのない池のような そのような人には輪廻はない ○この詩から学ぶこと 「大地」に唾をしようと、蹴飛ばそうと、穴を掘ろうが、大地は何も言わずに、びくともしません。そのように、悪口を言われようが、暴力を振るわれようと怒らない人、そのような人は相当な人格… トラックバック:0 コメント:10 2009年03月11日 続きを読むread more
馬のように感覚静めた阿羅漢を煩悩ないと神も羨む ダンマパダ 94 御者に善く調教された馬のように 自分の感覚器官を静め 慢心を捨て、煩悩のない 阿羅漢を神々も羨む ○この詩から学ぶこと 私たちの心が、揺れ動き、落ち着かなくなったり、悲しくなったり、うれしくなったりするのは、心に何かの刺激が入っるからです。心は何も刺激がないと生きていけないのです。ですから、心… トラックバック:0 コメント:24 2009年03月10日 続きを読むread more
飛ぶ鳥の足跡解らぬそのように食に頼らぬ心解らぬ ダンマパダ 93 煩悩を滅尽して 食に依存しない 空と無相と知る 境地ならば 彼らの行く先は知りがたい 空飛ぶ鳥の足跡ように ○この詩から学ぶこと 今回の詩は、前回の詩の一行目と二行目が変わっただけで、三行目以下は同じ言葉です。やはり阿羅漢の境地について述べたものです。 「煩悩を滅尽して」の煩悩とい… トラックバック:0 コメント:18 2009年03月09日 続きを読むread more
飛ぶ鳥の足跡解らぬそのように空と無相を知る人解らぬ ダンマパダ 92 ものを蓄えることなく 食べ物の意味を知り 空と無相と知る 境地ならば 彼らの行く先は知りがたい 空飛ぶ鳥の足跡ように ○この詩から学ぶこと この詩も阿羅漢の境地を述べています。先ず、阿羅漢は「ものを蓄えること」はないのです。私たちとは異なる態度です。私たちは特別何かの蒐集家でなくとも、いろ… トラックバック:0 コメント:20 2009年03月08日 続きを読むread more
春になり白鳥沼を捨てるよう念ある人は執着捨てる ダンマパダ 91 有念者は家を出る 家を楽しまない 白鳥が沼を捨てるように 彼らはあの家この家を捨てる ○この詩から学ぶこと 有念者とは、念がある人という言う意味です。では「念」とは何でしょうか?パーリ語ではサティといいます。これまでも何回も出てきた言葉ですが、実況中継と表現して来ました。重要な言葉ですから、ス… トラックバック:0 コメント:23 2009年03月07日 続きを読むread more
旅を終え憂いを離れた阿羅漢に悩み苦しみは存在しない ダンマパダ 90 輪廻の旅を終え憂いを離れ あらゆることから解放されて あらゆる束縛を捨てた人には 苦悩は存在しない ○この詩から学ぶこと この90番の詩から99番の詩まで、「第七 阿羅漢の章」になります。この章では阿羅漢の境地を語ることになるので、私の手に余りますが、原文に沿って私の理解できることを書いてみま… トラックバック:0 コメント:14 2009年03月06日 続きを読むread more